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たいぞうの言葉

 

 前回、国においても個人においても、自らが必要とするエネルギーを「自給自足」していないために、人の「自律」が阻まれてしまうのではないか?という私の考えを述べました。

 

その考えの裏付けとなる、過去と現在に起きた出来事を挙げてみます。

 

 

 

・・・過去、明治維新以降より始まった日本の資本主義ならびにエネルギー消費拡大生活は、やがて日本が第二次世界大戦に踏み切らざるを得ない状況を生み出しました。

 

かつての日本はなぜ戦争に突入しなければならなかったのか?

 

過去を振り返れば、それがエネルギー問題であったことがわかります。

 

石炭や石油といった化石エネルギーを持たない日本が、資本主義による自国経済を維持しながら、欧米列国と対等に渡り合うためにはどうしても資源の供給先が必要でした。

 

中国での利権や、欧米各国の植民地とされていた東南アジアの利権。

 

日本だけでなく世界各国が自国の経済を死守しようと、植民地および化石エネルギーの利権をめぐって一大戦争を引き起こしたわけです。

 

もし当時の日本が国民の生活に必要なエネルギーを自給自足できる状況にあったならば、そのような争いに参加することはなかったかもしれません。 

 

つまり己を律することができたはずです。

 

しかし化石エネルギーを持たない日本は、他国にエネルギーを依存した生活を享受している内に、そのエネルギー無しでは経済つまり生活を成り立たせることが不可能となってしまったために、戦争に突入せざるをえなくなった・・・と捉えることができるでしょう。

 

 

 

・・・そして現在、日本は小さな島国であるにも関らず、なぜ原子力発電のような大きな危険性を孕んだエネルギー調達手段を推進してきたのか?

 

それはかつて起こった2度の石油ショックが発端だと言われています。

 

時の政府は石油エネルギーに依存し続けることを危惧し、国内で安定して得ることができる大規模エネルギーとして原子力発電に光明を見出しました。

 

化石燃料資源の無い日本でも、原子力発電所をつくり大規模なエネルギーを「自給」できるようになれば、安定したエネルギー社会の構築を目指すことが出来ると。 

 

日本が自立したエネルギーの確保さえできれば、再び石油ショックのような事態が起こっても、国民の生産活動に大きな支障をきたすことなく「経済の発展」および「国民生活の安定」を望めると。

 

そのように考えた政府は原発を国のエネルギー政策として推進してきたわけです。

 

しかしその結果、どのような悲劇が生じることとなったのかは言うまでもありません。

 

 

この原発問題においても、大規模なエネルギーに依存し続けなければ経済も生活も成り立たせることができない私達が、化石燃料に代わる大規模エネルギーとして原子力発電しか選択肢がなかったために、危険であるのは分かっていてもそれを推進せざるをえなかった・・・と捉えることができるわけです。

 

先の大戦にしろ、原発事故にしろ、キリなく増加し続けるエネルギーに依存しなければ経済を保てない社会システムこそが人の律する行為を阻んでいると言えるのではないでしょうか。

 

 

 

・・・ところで、人類のエネルギー消費量の推移を見てみると、日本においても世界においてもその推移は未だに右肩上がりを続けており、15年後の予測においてもさらなる増加が見込まれています。

 http://www.meti.go.jp/intro/kids/ecology/10.html

 

また、世界のCO2排出量の推移を見ても未だ右肩上がりであるのが現実です。

http://www.fepc.or.jp/future/warming/co2_hyouka/sw_index_02/index.html

 

 

もし私達がこの底無しのエネルギー依存を必要とする社会システムから脱却できないのであれば、私達が必要とするエネルギーの選択肢はやはり原発の推進以外に無いのかもしれません。

 

 

そうやってあきらめることで、私達人類はこれまで底無しにエネルギーを求め続け、底無しにエネルギーに依存し続けることによって「私達の環境」に様々な変化を引き起こしてきました。

 

先の戦争や前回に述べた熱帯雨林の破壊による砂漠化などもそうした変化の一部であり、福島県で現在進行形の環境破壊も私達こそが引き起こした環境の変化です。

 

 

底無しに増加していくエネルギーに依存しなければならない生活を、なぜ私達は止めることが出来ないのでしょうか?

 

 

18世紀から始まり、数十年先の未来でもエネルギーの増加が予見されている、キリのないエネルギー消費拡大生活から、私達はなぜ脱却することができないのでしょうか?

 

 

 

・・・・答えは簡単です。

 

 

それは私達の多くが、自らの衣食住を確保し続けるために「お金」を必要としているからです。

 

お金が無ければ自らの生活を維持することが出来ない社会システムの中にいるために、多くの人達が果てしない他人との競争の中でお金を求め続けてしまっているからなのです。

 

 

お金もある意味ではエネルギーであり、それは人の思念のエネルギーだと言えるでしょう。

 

つまり私達は自分の生活の維持を「人のエネルギー」に依存しているとも考えられるわけです。

 

 

・・・話が少々脱線しましたが、もし私達が自分の生活の維持をお金ではなく、自ら生産することができるエネルギーによって成り立たせることが出来れば、もう必要以上にお金を求めることも、必要以上に化石エネルギーや原子力エネルギーなどに頼る理由もなくなります。

 

実際に明治維新以前の日本人はそういったエネルギー社会を築いていたわけですが、では現代社会における私達はどういったカタチでエネルギーを自ら生産していくことが理想であり可能なのか?

 

 

 

・・・食糧エネルギーにおいては、やはり昔のように地域単位における米作を中心とした食糧生産こそが、日本の風土に最も適したエネルギー確保のあり方です。

 

私達一人ひとりが米の生産に何らかのカタチで関わり、米という循環型食糧エネルギーの消費を主体的に選択していくことで、全体としても過大なエネルギーの必要がなくなるのです。

 

わざわざ多大なる輸送エネルギーを使用して他国から食糧を輸入する必要もなければ、世界各国の熱帯雨林を破壊させる必要もなくなるのです。

 

また、多くの人達が(何らかのカタチで)米の生産に関ることによって、自らの消費意欲につながり、新たな雇用、様々な雇用も生まれ、日本国土の緑資源、環境等の保全にもつながります。

 (この雇用や環境保全については国としてのエネルギー政策、つまり食糧政策に関連する事業として非常に重要だと私は考えています)

 

 

私達の生活に必要なエネルギー(食糧)を私達一人ひとりがどう選択していくのか?

 

その一人ひとりの選択と意志(習慣)こそが、私達の未来の姿、子供達の未来の姿を決定づけているのです。

 

 

 

・・・化石燃料によるエネルギーは当然、私達が生産に関わることはできませんし、原子力発電によるエネルギーも私達一人ひとりが生産に関わることはまず出来ません。

 

あくまでも一部の人達にその権力が集中します。

 

したがって原発エネルギーは国としては自立したエネルギーであっても、私達一人ひとりからすれば結局はお金に依存しなければ得ることが出来ないエネルギーであるわけです。

 

お金に依存しなければ得ることができないようなエネルギーでは、人と人との果てしない競争により生じる様々な不幸はどうしても避けられません。

 

 

その点、循環型自然エネルギーは個人個人が生産することのできるエネルギーとして非常に有望です。

 

太陽光発電各家庭において設置が可能であり、すでに世帯レベルで消費される程度の電力は確保できる技術が確立されています。

 

風力発電も形状などの工夫により各家庭での設置は可能ですし、自治体レベルでの設置には様々な可能性が考えられるでしょう。

 

水力発電を考えれば、河川や農業用水を利用した小水力発電の普及を推進することにより、自治体レベルの自立エネルギーの確保に大きな可能性を見出せます。

 

 

 

・・・私達が今に必要な選択、今に求められていることは、18世紀から延々と続いている底無しのエネルギー依存生活からの脱却であり、それぞれが自立したエネルギーの生産を可能とすることで、自律を保ちながらも互いに手を取り合って日々を楽しく生きることのできる社会を創造していくことなのです。

 

 

大事なことはさらなるエネルギー消費拡大による「私達の発展」ではなく、自立した自然エネルギーによる「私達の安定」なのです。

 

 

私達は食糧にしろ、燃料にしろ、エネルギーの供給を他に依存してしまっているために「自律」することが難しくなってきています。

 

その例として、経済を優先し、人の安全性をないがしろにしたエネルギー供給の推進(原発の推進や戦争への参加)があり、

 

国の医療費の上昇分の約8割を占める生活習慣病の増加(先日新たに五大疾病として加わった精神疾患も、人の自律が困難となった例の一つです)などが挙げられるでしょう。

 

 

 

ですが、食糧にしろ燃料にしろ、自らで生産することによって必然的に自足することとなります。

 

そうやって自足することに依って初めて、人に「足るを知る」という自律の知恵が生まれるのです。

 

私達一人ひとりがエネルギーの自給自足を確立し、自律する知恵を持つことでようやく、個人においても私達(国)においても真に安定した生活を創造することができるのではないでしょうか。

 

 

くりかえしますが私達が本気で未来のことを考え、本気で子供たちのより良い未来、より良い環境を求めるのであれば、自らの生活エネルギーの選択に私達こそが責任を持たなければなりません。

 

未来により良い環境をつなぎ、次世代の人達のより良い未来を想うのであれば、キリなく他に依存することのない身の丈にあった生活と、その生活を維持していくために必要なエネルギーの選択こそに、私達が責任と覚悟を持たなければなりません。

 

 

 

・・・ツイッターでこんなことを書いている人がいました。

 

どうせ人間皆死ぬんだから、生きているうちに好きなことやって楽しんだ方がいいよ、と。

 

ちなみに私も、17歳の頃にC型肝炎に感染していることを知らされ当時の情報を鵜呑みにしていた時は、同じように考えていたものです。

 

どうせ早死にするんだから自分のやりたいことをやって太く短く生きたほうがイイに決まっていると。

 

 

・・・ですが、今の私の考えは違います。

 

どうせ人間、皆いつかは死ぬことは間違いありません。

 

しかし、どうせ死んでしまうからこそ、人は次の世代により良い社会と環境をつなげていくための力となることに自らの喜びを見出せるのです。

 

もし自分が死なない存在であれば(そう思い込んでいるのであれば)、そういったところに自分の喜びを見出すことはできないでしょう。

 

 

どうでしょう?皆さんは人間どうせ死ぬんだから、自分の好き放題にエネルギーを使い散らかして生きたほうが楽しいとお思いですか?

 

それとも、人間必ず死ぬからこそ次世代のためにより安定した社会、より良い環境を創造していくための力になったほうが楽しいとお思いになりますか?

 

あなたはどちらの生き方にワクワクしますか?

 

どちらの生き方に夢を見出せますか?

 

 

 

場当たり的でキリのない消費から生まれるお金に依って自らの生活を維持しようとするのではなく、お金がなくとも私達の生活を維持できるような社会の創造を見据えて生きる。

 

そのために「私達一人ひとりが自給自足できる自然エネルギーのインフラ拡充を求めていく」という、市場原理の枠から一歩外れた、国民全体の合意につながる「強い意志」「強い信念」が必要だと私は考えています。

 

 

18世紀から続くキリのない経済成長、エネルギー消費拡大をこれからも継続していくために原子力発電を利用するのではなく、

 

キリのないエネルギー消費拡大生活から脱却するために、

個人個人や自治体レベルで自給自足できるエネルギー社会基盤を創造していくために、

 

そのために今ある石油資源を利用していくという発想が大事なのです。

 

 

そのために今ある原子力施設の稼動がどうしても必要だというのであれば致し方ありませんが、あくまでもエネルギー消費拡大生活からの脱却が目的である以上、原発の推進が必要とならないのは自明の理ではないでしょうか。

 

 

 

 

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前回のお話「玄米が不安という方へ伝える言葉 前編」こちらから  

 

 

ネット上で玄米を批判する意見の中で、もっとも人に不安を与えてしまう様なものが「玄米を食べ続けると病気になる」などといった意見でしょう。

 

 

そういった意見を主張される方々は、玄米の残留農薬や、表皮部分に含まれているフィチン酸やアブシジン酸といった物質が、人にとって毒であるということを理由として挙げている場合が多いようです。

 

 

ですが、結論から言えば、双方とも玄米を食べることで人の体に重大な悪影響を与えることなどありません。

 

 

玄米を20年以上食べ続けようが、それが直接的な原因となって人の肉体に支障をきたすことなどありません。

 

 

なぜなら、昔の日本人は玄米(正確には分搗き玄米)を中心とした食生活を続けていましたが、多くの人達が概ね50年は生存してきましたので、玄米を長期に渡って摂取することにより健康被害が生ずるなどということはまったく考えられないのです。

 

 

そもそも玄米、そしてフィチン酸やアブシジン酸が猛毒であるというのであれば、厚生労働省がとっくに規制をかけていることでしょう。

(玄米の残留農薬については日本は世界一厳しい規制を設けています)

 

 

 

仮にもし私が逆の立場に立ち、どうしても人の健康のためを考えて玄米食を否定するのであれば、

「玄米を完全食と信じ込み、そればかりに偏った食生活を長期的に営み続けるようであれば、ミネラル偏重および心理的要因による健康被害のリスクが考えられる」

と表現します。

 

 

しかしそういったような表現ではなく、「猛毒だ」とか「100%安全の保証など無い」などといったような、ただただ人の不安を煽るような表現をしているところから、そうした人達が本当に人の健康を考えた上で主張しているのではなく、自分の持論を正当化させることを主な目的として主張していることが見て取れるのです。

 

 

そのような人の主張は誠実な意見とは言い難いでしょう。

 

 

 

人が健康的な食生活を営む上で大事なことの一つは「どのような食事であっても楽しく食べること」です。

 

 

もし玄米でなければならないだとか、白米は体に良くないなどといった考えを持ちながら日々の食生活を送り続けているようであれば、それは知らず知らずのうちに自分の健康を貶めることにつながります。

 

 

不安の中で食べ続けたり、頑な心やいちいち何かを否定するかのような考えをもって食生活を営むことは、心の健康にとってマイナスでしかありません。

 

 

楽しみながら食べるのではなく、何らかのネガティブな思いに囚われた状態で食を営み続けていれば、その自らの頑なな思いから生じさせたストレスホルモンが原因となり、少しづつ徐々に自分の肉体を蝕んでいってしまうのです。

 

 

 

玄米を長く食べ続けてきたにも関らず、玄米によって体を悪くしたなどと主張するような人達は、おそらく常日頃から色々な食べ物についての「良い悪い」を身勝手に裁いてきたのではないでしょうか?

 

 

食品や食を取り巻くあらゆる存在について感謝することなく、自分の体の調子が悪くなったからといってこれまで食べてきた食品のせいにするような人は、まず間違いなく謙虚な食生活は送ってこれなかったことでしょう。

 

 

本当に謙虚な人は健康を害した際に他のせいにするのではなく、自分のこれまでの食生活のあり方や自分の食べ方が、ただ至っていなかったのではないかと考えるものです。

 

 

それはその人の食生活のあり方が、玄米食だろうが、白米食だろうが、伝統食だろうが、欧米食だろうが、ファーストフードだろうが同じことなのです。

 

 

これまでに自分の好きで食べてきたにも関らず、自分の体が悪くなったからといって、自分の食べ方を省みるのではなく、何かと食品のせいにするような根性では本当の健康はいつまでたっても手に入れることは出来ないでしょう。

 

 

玄米も白米も欧米食もファーストフードも、またよく悪者に取り上げられている白砂糖や牛乳や添加物が使用されている食品なども、すべからくこれまでの人の生存を支えてくれた(今も支えてくれている)大事な存在です。

 

 

 

それらを楽しみながら食べている人達がいらっしゃる以上、それらに感謝することはあっても否定する必要などまったくありません。

 

 

自分がより良い食べ方を心掛ければ良いだけなのです。

 

 

より良い食べ方とは『「自由に食を楽しむこと」と「食を律すること」を同時に楽しむ食べ方』だといえましょう。

 

 

 

食を律するということは特定の食品の摂取を否定することではありません。

 

 

 

食を律するということの本質は、食品の摂取のあり方を自分の責任で選択するということです。

 

 

そして自らで食を選択しながら食を楽しむ行為において、どのような食品もいちいち否定する必要などは無いのです。

 

 

人は一人で生きている(食べている)わけではなく、人それぞれに千差万別の嗜好や食べ方があるのですから。

 

 

そうしたところを考えることが思いやりであり、食への感謝というものです。

 

 

 

 

 

私は人の健康には「心の健康」「肉体の健康」「環境の健康」の3つが存在し、それらは密接に絡み合い、相互に作用し合っていると考えています。

 

 

3つのどれもが真の健康を確立するために大事なことであり、どれか一つの健康を維持すれば良いなどという考えではありません。

 

 

ブログなどでは、ぶっきらぼうで生意気な書き方ではありますが、心と環境の健康を創造するためのあり方を自分なりに思案考察した内容をよく書いています。 

 

 

まだまだ人の健康を創造するための私の話は尽きることはありませんが、現時点の私が考える、真に健康的な生活を営み続けるために大事なことは「いかなる食をも楽しめる自分であること」です。

 

 

そしてさらに、私達がこれからも様々な食を楽しみ続けるためには、「食」を取り巻くすべての存在に感謝の心を持って日々の暮らしを営むことが大事なのです。

 

 

 

その「食への感謝の心」を持ち続けることが出来さえすれば、いかなる状況に置かれようとも、他のせいにすることなどなく自ら主体的に食を選択し、その時々の食を楽しみながら健康的な生活を過ごすことが可能となるでしょう。

 

 

 

それが私が一歳の頃にC型肝炎という病気を授かり、今もその病気と共に歩むことを選択することで得ることが出来た、自らで創造することが出来る真の健康を得るための手段なのです。

 

 

 

 

・・・最後に、これまで色々と小難しいことを書いてきましたが、玄米は上手に炊飯してやれば本当に美味しい食べ物です。

 

 

その美味しさを楽しむ上で不安になる必要などまったくありませんので、どうぞ皆様安心して玄米をお召し上がり下さいませ。

 

 

 

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最近のことですが、県内外の方々から玄米屋たいぞうへのお問合せを頂くことが増えてきました。

 

 

どういったお問い合わせかと申しますと、「玄米は本当に大丈夫なんでしょうか?」といった質問内容であることがほとんどです。

 

 

こうしたお問合せが出てくる理由としては、「玄米を食べると体に良くない」などといった情報がインターネット上などで多数存在していることが挙げられます。

 

 

 

インターネット上では様々な情報が飛び交っており、どう考えても眉唾モノとしか思えないような情報も検索の上位にあることがよくあります。

 

 

ただ、いくら眉唾モノの情報とはいえ、あれこれと人の不安を煽るようなことばかりが書かれていれば、誰でも「本当に玄米を食べても大丈夫なんだろうか?」と不安に陥ってしまうのは仕方の無いことでしょう。

 

 

 

中には私も一部納得するような理屈をもって、上手に玄米を否定するような情報などもあったりして、そうした情報を見た人の中には「君子危うきに近寄らず」で、玄米を食することを敬遠する方もいらっしゃるやもしれません。

 

 

それは玄米屋としましては非常に残念なことではあります。

 

 

 

玄米をただ貶めるかのような情報が乱立し、玄米食がまるで敵でもあるかのように批判する人達が多く存在する背景には、おそらくこれまでに玄米食を広めようとしてきた方々が、白米食などを不用意に否定、批判をしたり、他人の食べ方について頭ごなしに否定したりしてきた、という出来事があったからではないかと私は推測しています。

 

 

たぶん、その反動の結果として白米食を擁護し、玄米食を否定するような情報が乱立するようになったのではないでしょうか。

 

 

 

ですが、そもそもは玄米ばかりが目の敵にされる理由などどこにもありません。

 

 

玄米に含まれている成分について「これは毒だ」などと主張するような人は、本当に人の健康のためを考えてそれを主張されているのでしょうか?

 

 

食品に含まれている成分を一つ一つ取り上げては「これは毒だ」などと言い、その「毒」とやらが人の肉体の健康を脅かす元凶だという考えを前提にしておられる方々は、その他のあらゆる食品についてもイチイチそれに含まれている物質を挙げては「これは毒だ!食べてはいけない」などと主張されているのでしょうか?

 

 

そのような主張をされていないところを見れば、そういった人達は本当に人の健康のためを思って意見を言っているのではなく、ただ己の主張の正当化を図るためだけに理屈を並べているに過ぎないでしょう。

 

 

 

本当に人の健康のためを思って意見を言う人は、いたずらに人の不安を煽るようなことは決して言いません。

 

 

人にとって決定的な毒であるならばともかく、正確な裏付けが取れていないにも関らず、猛毒だなどと誇張するかのような意見など、鵜呑みにする必要はまったくありません。

 

 

まして人の不安を煽るだけ煽って、「自分のところの商品ならば大丈夫」などというようなことを主張する輩は言語道断です。

 

 

 

 

そして、本当に人の為を思って意見を言う人は、甘言ばかりでも済まさないものです。

 

 

 

ネットを見ていると「有害物質を避けることが何よりも大事だ」と主張している方が居られましたが、人にとって有害だとされる物質からどれほど逃れ続けようとしたところで、けっして本当の健康は手に入りません。

 

 

「脳が求める食品を食べることが大事、脳はストレスフリーを望んでいる」といったようなことを主張している方も居られましたが、脳が一切ストレスを感じない食品や食事を食べ続けることで、健康な肉体を得られることなどは断じてありません。

 

 

「玄米にはアブシジン酸やフィチン酸などの猛毒が含まれている」などといった風に、ただただ人の不安を煽るばかりのような情報を流している方もおられましたが、人間の肉体はその程度の物質はきちんと処理できる高い能力を持っているものです

 

そういった肉体が持っている能力を、自らで貶めてしまうことの方が問題なのです。

 

 

 

これらのことについては古今東西、これまでに人に起こり得た様々な現象をきちんと考えれば誰でも理解できることです。

(今現在、健康に暮らしておられるご年配の方々の食生活を研究すれば、彼らがストレスフリーな食生活でなかったことなどは明らかです)

 

 

先のような机上の空論を掲げる学者さんは、2~3年でいいから畑仕事をやってみなさい!と言いたくなるものです。

 

 

植物にとってストレスフリーな環境や肥料で栽培してやることが、結果としてどれほどひ弱な成長を果たすものか、いやでも思い知ることができるでしょう。

 

 

また、前回のたいぞうの想い65にも書いたように、人にとってストレスフリーな状態が長く続けばホメオスタシスの働きにより、人の肉体にとって決して有益では無い状況へと導かれてしまうことが予測されるのです。

 

 

 

 

ただ、私は以前「危ない玄米食」への反論として書いたことにもあるように、玄米が完璧な食べ物であるなどとは露ほども考えておりません。

 

 

自分がお客様に対して絶対に健康になれる食事法を提案できるなどと自惚れてもおりません。

 

 

しかし、私は「玄米を食べることに対しての不安はまったく無い」ということだけは、今ここでハッキリと申し上げられます。

 

 

 

 

玄米屋たいぞうの商売は、お客様に納得していただいた上で玄米を購入していただき、対価を得ることが出来て初めて成り立つため、玄米を不当に批判するような情報を前にした際には、断固としてそれに相対する必要があります。

 

 

ですが、私がこれまでたいぞうの想いで語ってきたように、私の本来の仕事は「長期的な視野における人の本当の健康のお役に立つこと」です。

 

 

玄米という食品の正当性を、人に認めさせることが私の仕事ではありません。

 

 

 

この現代社会において、長期的な人の健康を創出するために役立つ手段の一つとして、私は玄米食を日々の生活に取り入れることを提案しているのです。

 

 

 

 

私はネット上で不安を抱いてしまった方々に対して、玄米や私の意見の正当性を主張するのではなく、不安を抱いてしまった方々が安心して健康的な暮らしを営むための主張を今から、そしてこれからも申し上げていきたいと思います。

 

 

少々長くなりましたので、後編に続けることにします。

 

 

 

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玄米屋たいぞうの想い67( 「玄米食が不安」という方へ伝える言葉 後編 ) に進む

 

  

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「仕事」とは読んで字の如く「人に仕える事」だと私は考えていますが、玄米屋たいぞうはいったいどのような哲学を持ってして人様にお仕えしているのか?

 

 

今回はそれを書いてみたいと思います。

 

 

 

先に述べたように、仕事とは人に仕えることであり、その本分は「人様に喜んでいただくこと」でありましょう。

 

 

ですが、「旨い!美味しい!また食べたい!」と、人が快楽のままに求めるような食を提供することばかりが本当に人のためになる仕事だと考えているのであれば、私は以前に経営していた焼肉屋を辞めたりはしていません。

 

 

私が焼肉屋を経営していた時には、多くの人達に「旨い旨い」と喜んで貰えたものですし、さらに喜ばれるような旨い肉やアルコールを提供し続けることで、私の懐事情は今よりも遙かに潤っていたものです。

 

 

しかし、そうであったにも関らず私は焼肉屋を辞め、玄米屋の道を歩み続けています。

 

 

その理由は以前、玄米屋たいぞう便り第8号「たいぞうの過去のお話」たいぞうの想い21「なぜ焼肉屋から玄米屋へ?」にも書いたことがありますが、今の私は確固たる自信と己の哲学に基づき、日々の仕事に勤しんでいるのです。

 

 

 

 

 

 

玄米屋としての仕事をしていく中で、

 

 「お客様に玄米屋の価値をいかにして伝えることができるか?」

「 玄米屋が提供するサービスを多くの方々に納得していただくために、たいぞうはどう在るべきか?」

 

 

私はそうした点を常に意識していますが、玄米屋たいぞうがお客様に提供している価値とは一体何なのか?

 

 

 

単刀直入に申しますと、それはズバリ「人の健康」です。

 

 

玄米屋たいぞうは人の長期的な健康を創り上げるために役立つサービスを提供している店なのです。

 

 

ただ、その価値を伝えることが、とにもかくにも難しい。

 

 

 

 

「健康」とは本来は自らで創り上げるものです。

 

 

それは「肉体」であっても、「心」であっても、「己の環境」であっても同じこと。

 

 

いずれも長期的な健康であれば、ことさら自分の「健康でありたい」という意思と行動が必要となるものです。

 

 

 

しかし、こと「食」という分野においては、「他者から与えられる楽」によりかかることで、自分のその時々ばかりの健康を求めている方々があまりに多いように思えてなりません。

 

 

健康でありたいという意思はありながらも、自分自身の主体的な行動に依るのではなく、多くの方々が自分でも知らず知らずに「他の存在への依存」「楽(ラク)」の方へと流されてしまっているのが現実の有り様です。

(何かというとサプリメントや薬などに頼ることが一つの例として挙げられます) 

 

 

 

ただ、依存が「悪いことだ」と断言しているわけではなく、人という存在が他者への依存、他者から与えられる「楽」を望むのは自然な成り行きではあります。

 

 

 

それはなぜか?

 

 

 

・・・ここからが哲学です。

 

 

 

人という存在は人の「肉体」という器に縛られています。

 

 

人の意識はその人の肉体があるからこそ存在しているわけなのですが、その意識は肉体に縛られているがゆえに、じつは肉体からの解放をも望んでいるのです。

 

 

 

・・・一体どういうことでしょうか?

 

 

 

人は肉体を持つが故に、その意識は「苦」を感じてしまいます。

(「苦」とは肉体があるからこそ感じる「暑い」「寒い」「痛い」などの苦痛や、精神的ストレス、つまり他の存在からの圧力を感じることで生じる恐怖といった感情的な苦痛などが例として挙げられます)

 

 

ですが、その意識は己の肉体の存在を感じずに済んだ際に、その「苦」から逃れることが出来るのです。

 

 

(肉体の存在を感じずに済むためには、他の存在に依存することで自分の肉体の負荷を減らすことや、脳内麻薬の発生により意識の感覚を麻痺させることなどが挙げられます)

 

 

つまり、人の意識は自分の肉体の縛りから何らかの手段をもって逃れることができた際に初めて、「苦」を逃れ「楽(ラク)」を感じることが出来るというわけです。

 

 

それが「楽(ラク)を求め続ける人の意識は、人の肉体という縛りからの解放をも求め続けている」という所以であります。

 

 

 

 

しかし、ここで問題にしなければならないことは、肉体の「苦」から逃れるために、他への依存ばかりを求め続けることは、それが「今の人の肉体」をないがしろにすることに他ならないということです。

 

 

なぜなら、他への依存ばかりを求め続けるようであれば、その自分の肉体は自分の意識とは無関係にその能力を貶めていってしまうからなのです。

 

(この事実はホメオスタシスという自然の摂理を知ることで、ご納得いただけることと思います)

 (他への依存を続けることで肉体の能力を貶めている実際の例として、筋力の低下生殖能力の低下自律神経系や内分泌系、免疫系などの維持能力の低下などが考えられます)

 

 

 

 

そういった事実を認識した上で、 人にとっての「苦」とはなにか? 人にとっての「楽」とはなんなのか?

 

 

それらの本質への認識をも深めていきます。

 

 

 

すると、「苦」「楽」も結局はどちらも「生」であることに気付くことができます。

 
 

 

 

「苦」も「楽」も「人の生」においては表裏一体のものなのです。

 

 

 

私達は今、自らの「生」のために「楽」を追い求めているつもりが、実はそれが同時に人にとって「苦」への道のりでもあるということを認識しなければなりません。

 

 

 

「生を楽しむ」「人生を楽しむ」ということの本質は、「楽を楽しみ、苦をも楽しむ」というところにあるのです。

 

 

 

人という存在は「苦」を感じることができるからこそ「楽」を楽しむことができるのであり、「苦楽」があってこそ「人生」は楽しいのです。

 

 

 

人の肉体の縛りからの解放ばかりを望むのではなく(ラクや依存ばかりを求め続けるのではなく)、人の肉体の縛り(苦)があるからこそ楽しめる行為を人として営み続ける。

 (それはある意味、不自由を楽しむと言い換えても良いでしょう)

 

 

 

肉体の縛りからただ逃れようとするのではなく、不自由の根源である人の肉体を維持することをも楽しむことが、私達が今感じている人としての幸せを、未来へと繋いでいくために大事なことだと私は確信しています。

 

 

 

その未来とは自分の未来であり、子々孫々達の未来でもあることは言うまでもありません。

 

 

 

 

人の今の肉体を維持するために役立つ食品と、それを楽しむための術(すべ)を広く伝えていくことこそが、私達がこれからも人としての幸せを感じ続けるために大いに役立つことでありましょう。

 

 

私は人の真の健康を創り上げるためのお役に立つべく、これからも玄米屋たいぞうの「仕事」をもって人に仕えていきたいと思っています。

 

 

 

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 『草食男子諸君に告ぐ 其の一』はこちらから

 

 

 草食男子諸君、ところで君達は知っているか?

 

 あの宮本武蔵も玄米を喰っていたという事実を。

 

 武蔵は常日頃より、煮た玄米を乾燥させた「糒」(ほしいい)なるものを保存食として常備し、諸国漫遊の武者修行をしていたと文献にある。

 

 嘘だと思うなら調べてみろ。

 

 

 また、500年前のサムライ達の日々の食事も玄米だった。

 

 一日に五合の玄米こそが彼らの「氣」の源であり、強い肉体と魂を得る為の食料であった。

 

 

だから、草食男子諸君!

 

 男なら玄米を喰え!!

 

  サムライの魂を喰え!

 

  サムライスピリットを手に入れろ!!!

 

 

 

 一応言っておくが、俺は別に草食であることが“良い悪い”などといっているわけではない。

 

 君達が草食であろうがなかろうが、それは別に俺にとっての問題にはならない。

 

 しかしそれでも君達自身のため、そして後々の人達、つまり子供たちのために、今ここで君達に告げたい言葉があるのだ。

 

 

 君達は「どれほど立派な大木であろうとも、根をしっかりと這わせていなければ、いとも簡単に倒れてしまう」ということを知っているか?

 

 根をしっかりと這わせていない植物は、環境が少し変わっただけであっさり枯れてしまうものだ。

 

 

 また、君達は植物を育てる際に、栄養をたっぷり含んだ化学肥料を与えて育ててやるとどうなるか知っているか?

 

 そういった植物はたっぷりの養分のおかげで、見た目は立派に育つものだ。

 

 収穫の際には、それはそれは立派な実を得ることも出来る。

 

 だがな、よくよくその根っこを見てみれば貧相極まりないもんだ。

 

 簡単に栄養を吸収できるもんだから、その植物はわざわざ地中深くまで根をのばす必要なんて無かったわけだ。

 

 そんな植物は風が強けりゃすぐに倒れちまうし、いちいち世話してやらなきゃすぐに枯れちまう。

 

 いつまでも甘やかしてやらないと生きていけないってわけだ。

 

 

 その点、何にも肥料を与えずに育った植物は強いぜ。

 

 上っ面の見た目こそ派手じゃあないが、地中を見てみりゃ太い根っこをどこまでも張り巡らせている。

 

 そいつらはそう簡単には倒れないし、いちいち世話なんぞしなくても逞しく生き続ける。

 

 

 

 なあ、草食男子諸君。

 

 医者だって金が無きゃ世話はしてくれねえんだよ。

 

 国を頼りにしたところで、それは子供たちも含めたみんなに頼るってことだ。

 

 いちいち必要以上に誰かや何かの世話になって生きるなんてのは男の生き方じゃねぇんだぜ?

 

 だから男らしく強く生き抜くために、てめえの根っこをしっかりと張り巡らせようじゃないか。

 

 

 そこで考えるに、人間にとっての根っことは何だ?

 

 そう、それは内臓だ。

 

 腸が人間の養分を吸収するために存在している。

 

 

 胃や膵臓などの消化酵素分泌能力と、腸における吸収能力こそが「人間の根っこ」と呼ぶに相応しい。

 

 そうやって考えれば、たっぷりの栄養を簡単に吸収できるような食料ばかりを選ぶことが、てめえの根っこにとってどういうことになるか、賢明な君達には簡単に理解できるだろう。

 

 

 でもな、知ってるか?

 

 君達はこれまでそんな食料ばかりを与えられて育ってきちまったんだよ。

 

 母ちゃん達は皆、君達に優しかったわけだ。

 

 女ってのはどうしたって優しいもんだ。

 

 君達の母ちゃんを責められはしないが、しかし根っこを逞しく進化させるためには厳しい環境こそが必要だってことを知る必要があるんだよ。

 

 

 そう簡単には栄養を摂取できないような消化の悪い食べ物を食べるからこそ、自分の根っこ、つまり内臓がより良く進化するってことを知る必要がある。

 

 

 草食男子諸君に告げる!

 

 

 男なら簡単に養分を手に入れられる環境なんぞ捨てちまえ!

 

 男なら消化が悪かろうが、不味かろうが、何だろうが、感謝して喰え!!

 

 男ならいつまでも甘えてるんじゃねえ!!

 

 男ならどんなに不味かろうが喜んで食べることのできる「心の強さ」を手に入れろ!

 

 

 男は優しさなんか求めるな。

 

 優しさは女にくれてやれ。

 

 

 男は強さを求め、強さを与えろ!

 

 

 男が強さを求めなければ、いったい誰が子供たちに強さを与えるというのだ?

 

 

 草食男子諸君、もう一度言う。

 

 

 男なら玄米を喰え!!!

 

 おわり

 

 

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『草食男子諸君に告ぐ』

 萬蔵(まんぞう)

 

 草食男子諸君。

 

 君達は、なぜ「草食男子」などと、まるで陰口の如く言われねばならないのか、それを疑問に思ったことはないか?

 

 君達は別に野菜ばかり食べているわけではないだろう。

 

 別に君達は肉を食わないわけではないし、どちらかといえば肉は好きな方だろう。

 

 だが、何故か君達は草食男子などと揶揄されるわけだ。

 

 それは何故か?

 

 

 体が細いからか?

 

 それも理由の一つかもしれないが、けっして本当の理由じゃない。

 

 別にマッチョな肉体を持っていないから「草食男子」と呼ばれる訳では無い。

 

 

 キムタクが草食男子に見えるか?

 

 ボクシングV10の長谷川選手は、カラダは細いが草食男子に見えるか?

 

 体が細いか太いかじゃない。

 

 

 本当はみんな君達の内面から表れた外見を見て、草食か肉食かを判断しているのだ。

 

 つまり、君達の内臓の状態から表れている、君達の心と外見からそれを判断しているということだ。

 

 

 いいか、 君達は子供の頃から甘やかされて育ってきたということを認識しなければならない。

 

 今の多くの若者たちは子供の頃からカラダに優しい食べ物ばかり与えられて育ってきた。

 

 

 精製された何の不純物も無い艶々の白米ごはん、

 精製された消化の良い食パン、甘い菓子パン、

 人工的にアクを減らした甘い野菜、

 ビタミンが添加されたインスタント食品、

 骨がまったく無いような食べやすい魚の切り身、

 簡単に多くのエネルギーを得ることのできる柔らかい脂肪たっぷりの肉、

 体が何の負担もなく栄養を摂取できる様々な栄養補助食品、 

 噛む必要も無い柔らかい食べ物。

 

 

 カラダにとって「楽」な食べ物を、幼い頃から君達は「与えられて」育ってきたのだ。

 

 そりゃあ、君達の内臓は「楽」だったことだろう。

 

 ずっと甘やかされてきた君達の内臓はその「楽」に慣れてしまって、強い消化吸収能力なんて持つ必要は無いって勝手に判断しちまったんだよ。

 

 

 だから草食男子諸君!

 

 男なら玄米を喰え!

 

 

 消化が悪い?

 

 上等だ!

 

 だからこそ内臓が鍛えられる。

 

 

 固い?

 

 馬鹿野郎!!

 

 噛むからアゴが強くなるんだ!

 

 噛むこと自体が内臓に刺激を与えてんだよ!

 

 

 マズイ?

 

 ふざけるな!!

 

 男なら選ぶな!

 

 脳が喜ぶ食べ物はカラダにとって優しい食べ物でしかない!

 

 

 男が優しさなんか求めるんじゃねえ!!!

 

 

 男なら鉄の胃袋を持て!

 

 アイアンストマックを手に入れろ!!

 

 

 君達に限らず、誰もが自分の内臓のコトなんか見ることはできないし、自分の意思で内臓をコントロールすることなんかできない。

 

 たまたま運良く遺伝子に恵まれた者は、同じ条件でも強い内臓を持つことが出来たが、しかし遺伝子に恵まれてなくとも鍛えることで強い肉体を手に入れることは出来る。

 

 男は外見だけじゃなく、中身を鍛えろ!

 

 外見も大事だが、自分の心と内臓という中身を鍛えることで、いつの間にか外見も変わってくるもんだ。

 

 

 其の二に続く

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