食の安心と確固たる信念に生きる店”玄米屋たいぞう”(Ⅳ) オリジナルコンテンツ › > こだわり

こだわり

 

 前回、国においても個人においても、自らが必要とするエネルギーを「自給自足」していないために、人の「自律」が阻まれてしまうのではないか?という私の考えを述べました。

 

その考えの裏付けとなる、過去と現在に起きた出来事を挙げてみます。

 

 

 

・・・過去、明治維新以降より始まった日本の資本主義ならびにエネルギー消費拡大生活は、やがて日本が第二次世界大戦に踏み切らざるを得ない状況を生み出しました。

 

かつての日本はなぜ戦争に突入しなければならなかったのか?

 

過去を振り返れば、それがエネルギー問題であったことがわかります。

 

石炭や石油といった化石エネルギーを持たない日本が、資本主義による自国経済を維持しながら、欧米列国と対等に渡り合うためにはどうしても資源の供給先が必要でした。

 

中国での利権や、欧米各国の植民地とされていた東南アジアの利権。

 

日本だけでなく世界各国が自国の経済を死守しようと、植民地および化石エネルギーの利権をめぐって一大戦争を引き起こしたわけです。

 

もし当時の日本が国民の生活に必要なエネルギーを自給自足できる状況にあったならば、そのような争いに参加することはなかったかもしれません。 

 

つまり己を律することができたはずです。

 

しかし化石エネルギーを持たない日本は、他国にエネルギーを依存した生活を享受している内に、そのエネルギー無しでは経済つまり生活を成り立たせることが不可能となってしまったために、戦争に突入せざるをえなくなった・・・と捉えることができるでしょう。

 

 

 

・・・そして現在、日本は小さな島国であるにも関らず、なぜ原子力発電のような大きな危険性を孕んだエネルギー調達手段を推進してきたのか?

 

それはかつて起こった2度の石油ショックが発端だと言われています。

 

時の政府は石油エネルギーに依存し続けることを危惧し、国内で安定して得ることができる大規模エネルギーとして原子力発電に光明を見出しました。

 

化石燃料資源の無い日本でも、原子力発電所をつくり大規模なエネルギーを「自給」できるようになれば、安定したエネルギー社会の構築を目指すことが出来ると。 

 

日本が自立したエネルギーの確保さえできれば、再び石油ショックのような事態が起こっても、国民の生産活動に大きな支障をきたすことなく「経済の発展」および「国民生活の安定」を望めると。

 

そのように考えた政府は原発を国のエネルギー政策として推進してきたわけです。

 

しかしその結果、どのような悲劇が生じることとなったのかは言うまでもありません。

 

 

この原発問題においても、大規模なエネルギーに依存し続けなければ経済も生活も成り立たせることができない私達が、化石燃料に代わる大規模エネルギーとして原子力発電しか選択肢がなかったために、危険であるのは分かっていてもそれを推進せざるをえなかった・・・と捉えることができるわけです。

 

先の大戦にしろ、原発事故にしろ、キリなく増加し続けるエネルギーに依存しなければ経済を保てない社会システムこそが人の律する行為を阻んでいると言えるのではないでしょうか。

 

 

 

・・・ところで、人類のエネルギー消費量の推移を見てみると、日本においても世界においてもその推移は未だに右肩上がりを続けており、15年後の予測においてもさらなる増加が見込まれています。

 http://www.meti.go.jp/intro/kids/ecology/10.html

 

また、世界のCO2排出量の推移を見ても未だ右肩上がりであるのが現実です。

http://www.fepc.or.jp/future/warming/co2_hyouka/sw_index_02/index.html

 

 

もし私達がこの底無しのエネルギー依存を必要とする社会システムから脱却できないのであれば、私達が必要とするエネルギーの選択肢はやはり原発の推進以外に無いのかもしれません。

 

 

そうやってあきらめることで、私達人類はこれまで底無しにエネルギーを求め続け、底無しにエネルギーに依存し続けることによって「私達の環境」に様々な変化を引き起こしてきました。

 

先の戦争や前回に述べた熱帯雨林の破壊による砂漠化などもそうした変化の一部であり、福島県で現在進行形の環境破壊も私達こそが引き起こした環境の変化です。

 

 

底無しに増加していくエネルギーに依存しなければならない生活を、なぜ私達は止めることが出来ないのでしょうか?

 

 

18世紀から始まり、数十年先の未来でもエネルギーの増加が予見されている、キリのないエネルギー消費拡大生活から、私達はなぜ脱却することができないのでしょうか?

 

 

 

・・・・答えは簡単です。

 

 

それは私達の多くが、自らの衣食住を確保し続けるために「お金」を必要としているからです。

 

お金が無ければ自らの生活を維持することが出来ない社会システムの中にいるために、多くの人達が果てしない他人との競争の中でお金を求め続けてしまっているからなのです。

 

 

お金もある意味ではエネルギーであり、それは人の思念のエネルギーだと言えるでしょう。

 

つまり私達は自分の生活の維持を「人のエネルギー」に依存しているとも考えられるわけです。

 

 

・・・話が少々脱線しましたが、もし私達が自分の生活の維持をお金ではなく、自ら生産することができるエネルギーによって成り立たせることが出来れば、もう必要以上にお金を求めることも、必要以上に化石エネルギーや原子力エネルギーなどに頼る理由もなくなります。

 

実際に明治維新以前の日本人はそういったエネルギー社会を築いていたわけですが、では現代社会における私達はどういったカタチでエネルギーを自ら生産していくことが理想であり可能なのか?

 

 

 

・・・食糧エネルギーにおいては、やはり昔のように地域単位における米作を中心とした食糧生産こそが、日本の風土に最も適したエネルギー確保のあり方です。

 

私達一人ひとりが米の生産に何らかのカタチで関わり、米という循環型食糧エネルギーの消費を主体的に選択していくことで、全体としても過大なエネルギーの必要がなくなるのです。

 

わざわざ多大なる輸送エネルギーを使用して他国から食糧を輸入する必要もなければ、世界各国の熱帯雨林を破壊させる必要もなくなるのです。

 

また、多くの人達が(何らかのカタチで)米の生産に関ることによって、自らの消費意欲につながり、新たな雇用、様々な雇用も生まれ、日本国土の緑資源、環境等の保全にもつながります。

 (この雇用や環境保全については国としてのエネルギー政策、つまり食糧政策に関連する事業として非常に重要だと私は考えています)

 

 

私達の生活に必要なエネルギー(食糧)を私達一人ひとりがどう選択していくのか?

 

その一人ひとりの選択と意志(習慣)こそが、私達の未来の姿、子供達の未来の姿を決定づけているのです。

 

 

 

・・・化石燃料によるエネルギーは当然、私達が生産に関わることはできませんし、原子力発電によるエネルギーも私達一人ひとりが生産に関わることはまず出来ません。

 

あくまでも一部の人達にその権力が集中します。

 

したがって原発エネルギーは国としては自立したエネルギーであっても、私達一人ひとりからすれば結局はお金に依存しなければ得ることが出来ないエネルギーであるわけです。

 

お金に依存しなければ得ることができないようなエネルギーでは、人と人との果てしない競争により生じる様々な不幸はどうしても避けられません。

 

 

その点、循環型自然エネルギーは個人個人が生産することのできるエネルギーとして非常に有望です。

 

太陽光発電各家庭において設置が可能であり、すでに世帯レベルで消費される程度の電力は確保できる技術が確立されています。

 

風力発電も形状などの工夫により各家庭での設置は可能ですし、自治体レベルでの設置には様々な可能性が考えられるでしょう。

 

水力発電を考えれば、河川や農業用水を利用した小水力発電の普及を推進することにより、自治体レベルの自立エネルギーの確保に大きな可能性を見出せます。

 

 

 

・・・私達が今に必要な選択、今に求められていることは、18世紀から延々と続いている底無しのエネルギー依存生活からの脱却であり、それぞれが自立したエネルギーの生産を可能とすることで、自律を保ちながらも互いに手を取り合って日々を楽しく生きることのできる社会を創造していくことなのです。

 

 

大事なことはさらなるエネルギー消費拡大による「私達の発展」ではなく、自立した自然エネルギーによる「私達の安定」なのです。

 

 

私達は食糧にしろ、燃料にしろ、エネルギーの供給を他に依存してしまっているために「自律」することが難しくなってきています。

 

その例として、経済を優先し、人の安全性をないがしろにしたエネルギー供給の推進(原発の推進や戦争への参加)があり、

 

国の医療費の上昇分の約8割を占める生活習慣病の増加(先日新たに五大疾病として加わった精神疾患も、人の自律が困難となった例の一つです)などが挙げられるでしょう。

 

 

 

ですが、食糧にしろ燃料にしろ、自らで生産することによって必然的に自足することとなります。

 

そうやって自足することに依って初めて、人に「足るを知る」という自律の知恵が生まれるのです。

 

私達一人ひとりがエネルギーの自給自足を確立し、自律する知恵を持つことでようやく、個人においても私達(国)においても真に安定した生活を創造することができるのではないでしょうか。

 

 

くりかえしますが私達が本気で未来のことを考え、本気で子供たちのより良い未来、より良い環境を求めるのであれば、自らの生活エネルギーの選択に私達こそが責任を持たなければなりません。

 

未来により良い環境をつなぎ、次世代の人達のより良い未来を想うのであれば、キリなく他に依存することのない身の丈にあった生活と、その生活を維持していくために必要なエネルギーの選択こそに、私達が責任と覚悟を持たなければなりません。

 

 

 

・・・ツイッターでこんなことを書いている人がいました。

 

どうせ人間皆死ぬんだから、生きているうちに好きなことやって楽しんだ方がいいよ、と。

 

ちなみに私も、17歳の頃にC型肝炎に感染していることを知らされ当時の情報を鵜呑みにしていた時は、同じように考えていたものです。

 

どうせ早死にするんだから自分のやりたいことをやって太く短く生きたほうがイイに決まっていると。

 

 

・・・ですが、今の私の考えは違います。

 

どうせ人間、皆いつかは死ぬことは間違いありません。

 

しかし、どうせ死んでしまうからこそ、人は次の世代により良い社会と環境をつなげていくための力となることに自らの喜びを見出せるのです。

 

もし自分が死なない存在であれば(そう思い込んでいるのであれば)、そういったところに自分の喜びを見出すことはできないでしょう。

 

 

どうでしょう?皆さんは人間どうせ死ぬんだから、自分の好き放題にエネルギーを使い散らかして生きたほうが楽しいとお思いですか?

 

それとも、人間必ず死ぬからこそ次世代のためにより安定した社会、より良い環境を創造していくための力になったほうが楽しいとお思いになりますか?

 

あなたはどちらの生き方にワクワクしますか?

 

どちらの生き方に夢を見出せますか?

 

 

 

場当たり的でキリのない消費から生まれるお金に依って自らの生活を維持しようとするのではなく、お金がなくとも私達の生活を維持できるような社会の創造を見据えて生きる。

 

そのために「私達一人ひとりが自給自足できる自然エネルギーのインフラ拡充を求めていく」という、市場原理の枠から一歩外れた、国民全体の合意につながる「強い意志」「強い信念」が必要だと私は考えています。

 

 

18世紀から続くキリのない経済成長、エネルギー消費拡大をこれからも継続していくために原子力発電を利用するのではなく、

 

キリのないエネルギー消費拡大生活から脱却するために、

個人個人や自治体レベルで自給自足できるエネルギー社会基盤を創造していくために、

 

そのために今ある石油資源を利用していくという発想が大事なのです。

 

 

そのために今ある原子力施設の稼動がどうしても必要だというのであれば致し方ありませんが、あくまでもエネルギー消費拡大生活からの脱却が目的である以上、原発の推進が必要とならないのは自明の理ではないでしょうか。

 

 

 

 

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玄米屋たいぞうの想い74(食と玄米と人の健康 前編) に進む

 

 

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「仕事」とは読んで字の如く「人に仕える事」だと私は考えていますが、玄米屋たいぞうはいったいどのような哲学を持ってして人様にお仕えしているのか?

 

 

今回はそれを書いてみたいと思います。

 

 

 

先に述べたように、仕事とは人に仕えることであり、その本分は「人様に喜んでいただくこと」でありましょう。

 

 

ですが、「旨い!美味しい!また食べたい!」と、人が快楽のままに求めるような食を提供することばかりが本当に人のためになる仕事だと考えているのであれば、私は以前に経営していた焼肉屋を辞めたりはしていません。

 

 

私が焼肉屋を経営していた時には、多くの人達に「旨い旨い」と喜んで貰えたものですし、さらに喜ばれるような旨い肉やアルコールを提供し続けることで、私の懐事情は今よりも遙かに潤っていたものです。

 

 

しかし、そうであったにも関らず私は焼肉屋を辞め、玄米屋の道を歩み続けています。

 

 

その理由は以前、玄米屋たいぞう便り第8号「たいぞうの過去のお話」たいぞうの想い21「なぜ焼肉屋から玄米屋へ?」にも書いたことがありますが、今の私は確固たる自信と己の哲学に基づき、日々の仕事に勤しんでいるのです。

 

 

 

 

 

 

玄米屋としての仕事をしていく中で、

 

 「お客様に玄米屋の価値をいかにして伝えることができるか?」

「 玄米屋が提供するサービスを多くの方々に納得していただくために、たいぞうはどう在るべきか?」

 

 

私はそうした点を常に意識していますが、玄米屋たいぞうがお客様に提供している価値とは一体何なのか?

 

 

 

単刀直入に申しますと、それはズバリ「人の健康」です。

 

 

玄米屋たいぞうは人の長期的な健康を創り上げるために役立つサービスを提供している店なのです。

 

 

ただ、その価値を伝えることが、とにもかくにも難しい。

 

 

 

 

「健康」とは本来は自らで創り上げるものです。

 

 

それは「肉体」であっても、「心」であっても、「己の環境」であっても同じこと。

 

 

いずれも長期的な健康であれば、ことさら自分の「健康でありたい」という意思と行動が必要となるものです。

 

 

 

しかし、こと「食」という分野においては、「他者から与えられる楽」によりかかることで、自分のその時々ばかりの健康を求めている方々があまりに多いように思えてなりません。

 

 

健康でありたいという意思はありながらも、自分自身の主体的な行動に依るのではなく、多くの方々が自分でも知らず知らずに「他の存在への依存」「楽(ラク)」の方へと流されてしまっているのが現実の有り様です。

(何かというとサプリメントや薬などに頼ることが一つの例として挙げられます) 

 

 

 

ただ、依存が「悪いことだ」と断言しているわけではなく、人という存在が他者への依存、他者から与えられる「楽」を望むのは自然な成り行きではあります。

 

 

 

それはなぜか?

 

 

 

・・・ここからが哲学です。

 

 

 

人という存在は人の「肉体」という器に縛られています。

 

 

人の意識はその人の肉体があるからこそ存在しているわけなのですが、その意識は肉体に縛られているがゆえに、じつは肉体からの解放をも望んでいるのです。

 

 

 

・・・一体どういうことでしょうか?

 

 

 

人は肉体を持つが故に、その意識は「苦」を感じてしまいます。

(「苦」とは肉体があるからこそ感じる「暑い」「寒い」「痛い」などの苦痛や、精神的ストレス、つまり他の存在からの圧力を感じることで生じる恐怖といった感情的な苦痛などが例として挙げられます)

 

 

ですが、その意識は己の肉体の存在を感じずに済んだ際に、その「苦」から逃れることが出来るのです。

 

 

(肉体の存在を感じずに済むためには、他の存在に依存することで自分の肉体の負荷を減らすことや、脳内麻薬の発生により意識の感覚を麻痺させることなどが挙げられます)

 

 

つまり、人の意識は自分の肉体の縛りから何らかの手段をもって逃れることができた際に初めて、「苦」を逃れ「楽(ラク)」を感じることが出来るというわけです。

 

 

それが「楽(ラク)を求め続ける人の意識は、人の肉体という縛りからの解放をも求め続けている」という所以であります。

 

 

 

 

しかし、ここで問題にしなければならないことは、肉体の「苦」から逃れるために、他への依存ばかりを求め続けることは、それが「今の人の肉体」をないがしろにすることに他ならないということです。

 

 

なぜなら、他への依存ばかりを求め続けるようであれば、その自分の肉体は自分の意識とは無関係にその能力を貶めていってしまうからなのです。

 

(この事実はホメオスタシスという自然の摂理を知ることで、ご納得いただけることと思います)

 (他への依存を続けることで肉体の能力を貶めている実際の例として、筋力の低下生殖能力の低下自律神経系や内分泌系、免疫系などの維持能力の低下などが考えられます)

 

 

 

 

そういった事実を認識した上で、 人にとっての「苦」とはなにか? 人にとっての「楽」とはなんなのか?

 

 

それらの本質への認識をも深めていきます。

 

 

 

すると、「苦」「楽」も結局はどちらも「生」であることに気付くことができます。

 
 

 

 

「苦」も「楽」も「人の生」においては表裏一体のものなのです。

 

 

 

私達は今、自らの「生」のために「楽」を追い求めているつもりが、実はそれが同時に人にとって「苦」への道のりでもあるということを認識しなければなりません。

 

 

 

「生を楽しむ」「人生を楽しむ」ということの本質は、「楽を楽しみ、苦をも楽しむ」というところにあるのです。

 

 

 

人という存在は「苦」を感じることができるからこそ「楽」を楽しむことができるのであり、「苦楽」があってこそ「人生」は楽しいのです。

 

 

 

人の肉体の縛りからの解放ばかりを望むのではなく(ラクや依存ばかりを求め続けるのではなく)、人の肉体の縛り(苦)があるからこそ楽しめる行為を人として営み続ける。

 (それはある意味、不自由を楽しむと言い換えても良いでしょう)

 

 

 

肉体の縛りからただ逃れようとするのではなく、不自由の根源である人の肉体を維持することをも楽しむことが、私達が今感じている人としての幸せを、未来へと繋いでいくために大事なことだと私は確信しています。

 

 

 

その未来とは自分の未来であり、子々孫々達の未来でもあることは言うまでもありません。

 

 

 

 

人の今の肉体を維持するために役立つ食品と、それを楽しむための術(すべ)を広く伝えていくことこそが、私達がこれからも人としての幸せを感じ続けるために大いに役立つことでありましょう。

 

 

私は人の真の健康を創り上げるためのお役に立つべく、これからも玄米屋たいぞうの「仕事」をもって人に仕えていきたいと思っています。

 

 

 

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玄米屋たいぞうの想い66( 「玄米食が不安」という方へ伝える言葉 前編 ) に続く

 

  

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越前の塩  

美味しい玄米ご飯を炊き上げるために、ほんの少しだけ入れる自然塩

 

越前の塩.jpg

 

その少しの塩も地元福井の素材に

トコトンこだわりました

 

 

福井県越前町のイケメン塩職人がつくる

  『越前の塩』

 

 

 越前の塩

 

ふるさと越前の海、日本海の海水を

昔ながらの製法でじっくりと結晶化

まろやかで風味豊かな美味しさを

しっかりと引き出しています

 

 

 

福井県産としては唯一の自然塩

 

きめ細かな塩の手触りは冬の越前海岸に降り積もる雪の結晶を思わせます

 

 

 【越前の塩】

●名称 :自然海塩

●原材料名:越前海岸海水

●産地:福井県丹生郡越前町

 

 

下の写真は福井の海、越前海岸の様子です 

 越前海岸越前海岸の水仙の花

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬の越前海岸には県花である水仙の花が咲き誇り、豊かな風情と香りを楽しませてくれます

 越前海岸越前海岸

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏はたくさんの海水浴客やマリンスポーツを楽しむ人たちで賑わう越前の海。

冬の越前かにを始めとした豊富な海の幸を楽しむことの出来る越前の海。

 

越前海岸は福井の自慢の観光地です。

 

 

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全国の玄米ファンの方々が求めているモノ、サービスとは一体どのようなものなのでしょうか?

 

 

それには「安心安全な玄米」であったり、「美味しい玄米」であったり、そして「価格が安いこと」などが挙げられることでしょう。

 

 

 

ただ、玄米ファンの方々はなぜ玄米を欲するのか?

 

お客様が求めているモノよりも、まずは「なぜお客様が玄米を求めるのか?」

 

 

先にそういった根本たる要因を考えれば、やはり多くの人達が健康な肉体、美しい肉体を求めているからこそ、玄米を求めるのではないかと、私は考えています。

 

 

 

前回の玄米屋たいぞうの想い61にも書きましたが、真の身土不二の思想を考えれば、目の前に広がる世界こそが自分自身の鏡となっているため、自らの健康な肉体、美しい肉体を求めるならば、健康な世界、美しい世界というものを求めなければなりません。

 

 

 

そこで考えるに「健康な世界」「美しい世界」とは一体どのような世界なのでしょうか?

 

 

 

 

・・・・そう、その一つがまさしく、この我がふるさと福井の里山の姿なのです。

 

 

 

 

農薬により多くの生き物を滅することなく、互いに共存しながら時の循環の中で互いに恩恵を得続けることのできる世界。

 

栄養ではなく、営養として玄米を食する文化。

 

必要以上には多くを食べない心。

 

必要以上に他の存在を滅することのない和の心。

 

自分が楽しめれば良いという考えではなく、未来と他者への思いやりの志「一口残す」の思想。

 

 

 

・・・そういった農村の伝統たる営みが育んできた環境こそが、自分達にとっての誇りとなり得る美しい世界、健康な世界だといえるのではないでしょうか。

 

 

 

玄米を食することを選択することが出来る人は、皆共通して優しい心を持っている素晴らしい人だと私は言い切れます。

 

 

それはこれまで玄米屋の経営を通じて心底理解することができました。

 

 

ただ、残念ながらそうした優しい心を食を通じて共感し合える方々は、未だに少ないのが実際のところです。

 

 

玄米を食べたいんだけど、子供が嫌がるから、夫が嫌がるから、家族が嫌がるから・・・。

 

 

そういった声は今も絶えることがありません。

 

 

食を楽しむ中で互いの心を共感し合えないということは辛いことです。

 

 

ですから、玄米屋たいぞうは玄米を食べることを無理に勧める様なことはしたくありません。

 

 

玄米屋たいぞうがやるべきこと、提案すべきことは

「多くの人達が玄米を食べたいと思えるような状況を創り上げること」

 

 

全国の玄米ファンの方々が本当に求めていることとは、おそらくそうしたトコロにあるのではないでしょうか。

 

 

自分の愛する人達と共に玄米を食することを楽しむことができる。

 

 

全国の玄米ファンの方々はそういった状況こそを求めているのではないでしょうか?

 

 

 

ですから、玄米屋たいぞうはそうした状況を創りだすための努力をしたいと思っています。

 

 

 

そしてより多くの人達が玄米を楽しみながら、自らの美しく健康な肉体と社会環境を創り上げていくことで、さらなる多くの人達の健康で美しい心を育むことにも繋がっていくのではないかと、ずうっと前から夢見ています。

 

 

 

 

 

・・・まずは男。

 

 

女性が男性と共に玄米を楽しめるような状況をもっと広げていく役目を果たすためにも、玄米屋たいぞうとしては男の心を惹きつけるような商品を提案したいと思っています。

 

 

そうして考えたのが、この福井県内の各地で環境保全と玄米食にこだわった農法を営む、誇り高き農家さん達の作った玄米をブレンドして作ったブレンド玄米です。

 

 

福井県内3軒の志高い農家さん達がそれぞれに作った魂の米を、ワタクシたいぞうの手で一つの魂としてまとめ上げたこだわりの玄米。

 

 

名付けて「サムライの魂」

 

「サムライの銀魂(しろがねのたましい)」

「サムライの金魂(こがねのたましい)」

 

 

 

現在、デザインやブレンド比率など色々と試行している最中であり、来年1月の半ば頃には販売をスタートできるようにしたいと思っておりますので、どうぞ今しばらくの間お待ち下さいませ。

 

 

 

 

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酒清水風景

 

 

玄米屋たいぞうで炊き上げる玄米ごはんは、たいぞうの地元である福井県鯖江市の農家さんが玄米食専用に栽培したコシヒカリ玄米を使用しています。

 

 

微生物自然農法で栽培したコシヒカリ玄米を、風と日光により自然乾燥させることで、米本来の豊かな風味が引き出され、格別に美味しい玄米ごはんが楽しめます。

 

 

そしてさらに美味しい玄米ごはんを目指して、玄米屋たいぞうでは洗浄する際や、浸水する際、炊飯する際の水にもこだわりを持っています。

 

 

 

 

酒清水風景

 

 

福井県のおいしい水に認定されている鯖江市片上地区近くにある『酒清水』です。

 

 

 

 

 

酒清水風景

 

熊に注意!の看板!?

 

 

 

山の岩の間から流れ出てくる湧き水は常に豊富な水量を湛えており、美味しい水を求めてこの酒清水を汲みに来る人たちが絶え間なく、ひっきりなしに訪れています。

 酒清水風景3.jpg

 

柔らかくまろやかな口当たりのこの清水は、地元の人達のみならず、他地域も含めた非常に多くの方々から愛され続けている福井県の誇る名水なのです。

 

 

 

 

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健康食品と名の付く商品は、今の世の中でそれを数えだせばキリがありません。

 

 

そして、そうした様々な食品が溢れるこの世の中で、一体何を食べれば健康になれるのか?

 

 

心の奥にそうした不安や悩みを持つ人達が非常に数多くいらっしゃるのが現実です。

 

 たいぞうのおじぎ

 

「バランスの良い食事をすることが大事だ」

 

 

と言いながらも、いざ病気になると盲目的に様々な情報に踊らされてしまう人も数多くいることでしょう。

 

 

 

「バランスの良い食事とはどういった食事なのか?」

 

 

 

本当にその難しさを理解している人はごくわずかです。

 

 

医者や学者などの知識人であっても、本当に自信をもってモノを言える人は僅かなもので、仮にバランスの良い食事というものの本質を理解していても、彼らも商売が絡んでくる以上、甘言を持ってしてその場を取り繕うような言動やアドバイスで済ますというのが実際のところです。

 

 げんまいごはん

 

バランスの良い食事というものを、「営養のバランス」という一つの次元だけで考えていると、本当の健康を得ることは難しいでしょう。

 

 

 

バランスには様々な次元が存在するのです。

 

 

 

そのような中で、なぜ玄米という食品が健康を維持するために役立つのか?

 

 

それは玄米ごはんを中心とした食生活を送ることが、健康を維持するための複数のバランスを保つために役立つということに他ならないのです。

 

 

 

それぞれのバランスについて説明するには非常に多くの説明を要しますが、各項目に分けて少しずつ説明していきたいと思います。

 

 

(以下のページはただ今作成中です。今しばらくお待ち下さいませ)

 

 

・ 営養バランス

 

・ 自律神経系(交感神経、副交感神経)のバランス

 

・ 腸内での営養物質の補給におけるバランス

 

・ 脳内での営養物質の補給におけるバランス(こころのバランス)

 

・ 食事の総摂取量のバランス(カロリーバランス)

 

・ ストレスバランス

 

・ 社会的要因のバランス(環境のバランス)

 

 

 

ちなみに本当の健康とは心の健康、からだの健康、社会の健康の3つの要素が不可欠ですが、それらのすべては、何を申しましてもやはり「自分の心」こそが創りだすものであることをご理解いただけましたら幸いに存じます。

 

 

 

・ 玄米食のメリットと店主たいぞうの日々の食事編

 

 

 

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インターネット上では、玄米という食べ物が人体に悪影響を与えるかのような情報が数多く溢れています。

 

どのような食物であっても、人にとってのメリットデメリットがあって当然なのですが、これだけ玄米という食物のデメリットを煽るかのような情報が、でたらめも含めて散乱している状況には、さすがに私も呆れてしまいます。

 

 

私やスタッフかな子は、長い間玄米を中心とした食生活を続けていますが、二人とも毎日を非常に健康に過ごしていますし(たいぞうの毎日の食事の様子をこちらからご覧いただけます)、私は肝臓の持病があるので2ヶ月に1回の病院での血液検査、検診を行っていますが、玄米による健康被害など、ただの一度も被ったことはありません。

 

 

また、取引先の農家さんや、知り合いの方々も10年以上玄米中心の食生活を続けていますが、実に健康そのものです。

 

 

玄米を食べることで悪影響を及ぼすかのような情報が、これだけ溢れているその原因は、おそらく玄米を食べることを嫌う人たちが、ムリにこじつけてそのような情報を流すのでしょう。

 

 

様々なご家庭で、「白米を食べたいのに玄米を食べさせられるなんて我慢ならない」という人が、実際に数多くいるのを私はよく知っています。

 

 

玄米を食べることが、人にとって色々とストレスを与えるのは本当の話ですが、そのストレスは人間の肉体が乗り越えられないような性質のものではありません。

 

 

噛む事を嫌がったり、体を甘やかすような食べ物ばかりを食べることで、自ら脆弱化させてしまった胃腸の能力や代謝能力を棚に上げて、「玄米を消化が悪い食べ物だ」とか「体に毒な食べ物だ」などと非難するような行為は、まさに恥ずべき行為です。

 

 

ストレスを乗り越えることで強靭な肉体を形成することが出来るのであって、昔の人々は玄米や様々な粗食に感謝していただくことで、アレルギーや若年性糖尿病などを発症するような脆弱な肉体になることなど無い、強い内臓と正常な代謝能力を持つ肉体をつくり上げていたのです。

 

 

だからといって玄米が健康になるための「完璧な食材」などとは、私は露ほども思っておらず、あくまでもこの飽食の世において、自らの食生活をより良くコントロールするために、大いに役立つ食品だという位置づけでとらえています。

 

 

「飽食」ならぬ「崩食」の時代だからこそ、玄米という食品を日々の食事に取り入れることを皆様に勧めているわけなのです。

 

 

 

 

また、玄米を日々の食事に取り入れることは、けっして自分の為だけに役立つというわけでもありません。

 

 

多くの人たちが玄米を食生活の一部に取り入れることで、より良い社会、日本の風土づくりを促すことに役立ち、自分だけでなく、子や孫など、未来の子々孫々にとっても大いなる恩恵を与えることになるのです。

 

 

ちょっと信じられないという方もいらっしゃることと思いますが、それは真実の話です。

 

 

何故そのようなことになるのかを説明することは、非常に長い説明が必要となりますので、このホームページ上やたいぞうのブログなどで、その理由をこれからどんどん説明していきたいと思います。

 

 

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 人の欲望と幸せの本質 其の一で、ウォント(~したいという思い)という欲望を、ただ叶えることが幸せを導くことではない、というたいぞうの持論を書きました。

 

 

 今の社会は、人の様々な欲望が常に煽られている状況であり、世間にしても能力主義の偏重の中で「社会的に成功することが幸せな事だ」と言う概念を、容赦なく押し付けてくる状況と言えるでしょう。

 

 

 そのような風潮の中で、あらゆる欲望を叶えようとすることは、ただただ疲れるだけです。

 

 かといって、欲望を無視しようとすることも、人の自然には反することだと思います。

 

 

 ですから、そういった欲望を「違うカタチの欲望」に変換できることが本当の幸せを導くことだと、たいぞうは考えています。

 

 

 

 「今の自分を幸せと思える人が幸せなひと」といったことがよく言われますが、そういった人もまた、常に欲望を変換し続けることができる人なのでしょう。

 

 

 

 

 ところで、話はかわって、日々の食事に玄米を食べることを取り入れることで、どういった欲望を満たすことが出来るか、少し考えてみました。

 

 

 

   玄米食のメリット

 

※ 腹持ちが良いので、あまりたくさん食べたいと思わなくなる

(たくさん食べたいという欲望を、実際にはそれほどたくさん食べなくとも満たすことができる)

 

※ 栄養バランスの良い食事をしたいという欲望を、非常に簡単に実現できる

 

※ 上の二つの理由により、健康を維持するために最もふさわしい食事が出来る

 

※ 地球の環境を良くしたいという欲望を実現できる

  

  ・米のとぎ汁による水質汚染の心配は全く無い

  ・玄米を主食にすると、他におかずを食べる必要があまり無いので、食料としての他の存在を必要以上に荒らさずにすむ

  ・米を主食にすることを推進するので、日本の農業が安定する

  ・無農薬農法を推進することになるので、真に豊かな国土を次世代に残すことができる

  ・肉類と比べて、生産するために必要以上のエネルギーを使用せずにすむのでCO2などの排出が少なくすむ(循環型の生産と消費ができる)

 

※ 上記のようなことを実現することができるため、次世代の人達に対して、誇らしい姿を魅せることができる

 

 

 

玄米を食することを取り入れることで、こういったメリット(恩恵)が考えられるのです。

 

 

ですが、メリットだけ挙げるのでは公平ではないので、玄米食のデメリットを挙げてみます。

 

 

    玄米食のデメリット

 

※  少量の食事量で食事が完結することや、相性の良いおかずが限定されることがあるため、(様々な)美味しい食事を楽しみたいという欲望を満たすことができない

 

 

これだけです。

 

 ( もちろん玄米食を楽しむことの出来る人はその対象外ではあります )

 

 ( また、玄米は「高い」とかいう様なことをデメリットに挙げる方もいるかも知れませんが、そういったことはデメリットにはならないと考えています。

 なぜなら、玄米を主食にして構成された食事のコストは非常に安上がりといえるからです。

 何事も一部のことだけ見て判断するのではなく、全体を考えることが大事だと言えるでしょう。)

 

 

 

 要は、様々な美味しい食事を楽しみたいという欲望を「変換」することができれば、実は様々な他の欲望を叶える事ができるということを、たくさんの人達に知って欲しいと、たいぞうは考えているのです。

 

 

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 先日のことですが、ネットショップで業績をあげている方々の主催するセミナーが近所で行われるとのことで、勉強のために参加してみました。

 

 

 少々遅れて会場に行くと、インターネットやネット販売のためのセミナーというより、なんだか自己啓発セミナーみたいな感じの講演が行われていました。 

 

 その講師の方曰く、「自分に自信を持つことが大事」だとか、「マスト(~しなければならない)よりもウォント(~したい)という気持ちが大事」だとか、そういった内容のことを話されていたのですが、最近の自己啓発関連においては、よく同じ様なことを耳にします。

 

 

 ただ、”「~したい」という気持ちが大事”ということについて、言っている意味はよく分かりますが、私は正直なところ非常にナンセンスな話のように感じました。

 

 

 もし本当に皆が好き勝手なウォントで生きることを認めるのであれば、とてもじゃありませんが周りの人達はたまったものではありません。

 

 

「海外に行きたいと思ったら、実際に海外に行く事が大事」

 

「美味しいものを食べたいと思ったら、実際にそれを食べることが大事」

 

 

 その講師の方は「 ~したいと思ったことは、実際に実行する事が大事」と主張されていましたが、今の世の中は「自分の欲望をかなえることが幸せ」ということが前提の思想の下にありますので、そういうことは当たり前の様な話とも言えるでしょう。

 

 

 しかし、そんな欲望を叶えることはキリがありません。

 

 

 経済は成長のために次から次へと人の欲望を煽るようなマネをしますが、人はそれを叶えようとするがために、欲望に溺れたり、欲望に疲れたりするのです。

 

 

 

 よく仕事が出来るとか、社会的に成功している、などといわれている人達に、みな共通していることの本質は”彼らがやりたいことをやっている”ということではない、とたいぞうは考えています。

 

 

 彼らは皆、普通ならやりたくないようなことも「やりたい」と思える人達なのです。

 

 

 人がやりたがらないようなことや、行動に起こすまでに今一歩踏み出せないような時も迷わず行動し、その行動によってより大きな快楽を得られることを、彼らは知っているのです。

 

 

 

 「現状を変えずにいたい」「失敗せずにいたい」というウォントがあるために、普通であればやりたくないことを、「やりたい」と思えるように自らをコントロールしているわけなのですが、つまりは欲望を変換する能力が、その人にとっての幸せを導いており、その能力を持つことこそが、幸せの本質の一端であると言えるでしょう。

 

 

 その変換の知恵を持たずにして「したいと思ったことをすることが大事」といっても、キリの無い欲望の前には、ただ疲れ果ててしまうだけです。

 

 

 

 繰り返しますが、本当に幸せな人の本質には、海外に行きたいと思ったときに海外に行くことや、美味しいものを食べたいと思ったときに美味しいものを食べることが出来る所にあるわけではありません。

 

 

 本当に大事な事は「欲望の変換を自在にコントロールできる知恵を持つこと」と言えるでしょう。

 

 

 その知恵こそが、自分にとってだけでなく未来にとっても、共通して幸せを導くために大事な事だとたいぞうは考えています。

 

 

 (玄米を主食に選ぶことにより、変換できる欲望の例をこちらのページに書いてみました)

 

 

 

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 人の嗜好というものは、人それぞれ、そして瞬間瞬間において様々ですので、「・・・を食べなければならない」などと、人に押し付けるのは非常にナンセンスなこと、と私は考えています。

 

 本来、人間は「そのときの自分の肉体が欲している栄養を摂取できる食物」を選ぶことの出来る能力を持っているため、自分のその能力を高めることで自身にとって、より相応しい食べ物を、相応しい食べ方で食べることが出来るそうです。

 

 

 しかし、「旨い」「美味しい」と感じる食べ物ばかりが脚光を浴び、さらに資本主義思想および自由市場原理の中で、「旨さ」や「美味しさ」ばかりが煽り続けられてきたことにより、今の日本は「旨い」「美味しい」食べ物ばかりの世の中になってしまいました。

 

 旨くない食べ物は人工的に「旨み」を添加され、美味しくない食べ物は市場の片隅に追いやられるばかりです。

 

 

 

 アレルギーに悩まされるお子さんを持った親御さんはご存知でしょうが、アレルギーを発症する理由の一つに高脂質、高タンパクの食料(卵や牛乳など)を摂取することがあります。

 

 なぜ子供がそのような食べ物を食べることでアレルギーを起こすのでしょうか?

 

 それは我々親の世代が、「旨い」「美味しい」高脂質、高タンパクの食事ばかりを摂り続けてきたために、自己免疫能力や消化能力などを衰えさせてしまったことが理由の一つとして推測されるのです。

 

 

 脆弱化した自己免疫能力などの機構を受け継いだ子供が、その能力が脆弱化していなければ本来発症しないはずのアレルギーを発症してしまうのです。

 

 成長するにつれ免疫能力は向上していくので、アレルギーは次第に発症しないようになっていきますが、果たしてそれで安心して良いのでしょうか。

 

 

 アレルギーの元々の原因は、親の食生活のあり方に原因が考えられるのです。

 

 もし、親が今の食生活のあり方を改善しようとしなければ、その子供は当然、親と同じ道を歩むでしょう。

 

 そして、その子がやがて親になったときに、また同じようなことが起こる可能性があるのです。

 

 しかも、より劇症化した形で起こりうることも考えられるでしょう。

 

 そのように考えれば、これからの子供達の未来を想い、私たちが何をすべきか考えたとき、自ずと答えが出てくるのではないでしょうか。

 

 

 

 私は人が「食べたい」=「ウォンツ」という欲求を、あれこれと「こう食べなければならない」=「マスト」にするべきだとは考えてはいません。

 

 

 ただ一つ、「こうしなければならない」という考えがあります。

 

 それが、私たち今の親の世代の人達が、「食」の分野において、この日本という大きな船に掲げる1本の「マスト」は、「より良い未来へつなぐべき食のあり方を考えなければならない」ということです。

 

 そう考えれば、私達大人が「旨い」「美味しい」食べ物ばかりに惑わされず、伝統食を次の世代に残すことや、たとえ不味いと感じる食べ物でも慈しむ心を持つことや、きちんとした食べ方をしている自分の背中を子供に見せるんだ、という思いに自然と到達することでしょう。

 

 

 

 私は少しでもたくさんの人たちが、そのように考えてくれることを願っています。

 

 

 

 

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