私は玄米屋の経営を通じて、日々の食事を謙虚に考え、実行することの大切さ、そしてそれにより得ることが出来るであろう豊かな心と、より良い社会の可能性を、少しでも多くの人達に伝えていきたいと思っています。
その手段の一つとして、ホームページやブログ上において、これまで様々な意見や持論を述べてきましたが、中には人にとって少々耳が痛くなるような話も多かったのではないでしょうか。
私の持論を読んで「押し付け」と感じる方もいらっしゃるでしょうし、不愉快になる方もいらっしゃるかもしれません。
「一度切りの人生、気ままに美味しく食べれるならこれほど幸せことはないでしょう」
「嫌いなものを無理に食べてもストレスになるだけですから、自然にありのままが一番いいのではないでしょうか」
といった御意見を寄せられることもあります。
世の中には、同様な御意見をお持ちの方々は決して少なくない、むしろかなり多いのではないかと察しますが、ただ残念ながら、私はそういった意見に同調、協調することは、正直言って出来ません。
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もちろん、美味しい食べ物を食べることを、否定するというわけでは全くありませんし、それらを楽しめる事は素晴らしいことだと思っており、実際に私自身も美味しい食べ物を存分に楽しんでいます。
しかしながら、「美味しい食べ物を食べることが幸せだ」などという意見や、「嫌いな食べ物を無理に食べればストレスになるから食べなくて良い」などという意見を簡単に容認することには、私は反対の立場なのです。
そういった意見に対しての私の主張は、結論から言えば、「どのような食べ物でも美味しく食べることが出来ること、美味しく感じることの出来る心を持つこと、それが本当の幸せであり、特定の食材を食べることをストレスに感じない心と身体を持つこと、それこそが本当に良いことである」ということです。
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戦後の日本は、急速な経済の発展により、ほとんどの人達が食料に困ることの無い、非常に豊かな国に成長し、今もその豊かさを保ち続けています。
その豊かさにあまりにも慣れすぎてしまったのか、私には現代人の「食」に対する感謝の心が、あまりにも希薄になってしまっているように思えてなりません。
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只々、「食」における快楽の欲望を膨らませるばかりの姿が目立ってならず、「食」を提供する側である業界の人達においてもまた、その快楽の欲望を煽るような真似ばかりが横行しているように思えてならないのです。
もしそうでないのであれば、私が推すような玄米食のスタイルや、旧来の日本の伝統食のスタイルも、もっと広がってもおかしくないのではないかと思うのですが、相変わらず「甘い、柔らかい、高脂肪、高カロリー」の食品ばかりが持て囃され、エスカレートし続けているのが現実の有り様のように思えます。
まさしく、「食」に対する感謝が欠如しているからこそ、その様な風潮になるのでしょう。
そういった風潮を見直し、次世代の人達に”より良い姿”と”より良い社会”を残すことが出来るように、私は玄米食というスタイルを持って、「食」への感謝の心を育む術を提供していきたいと思っています。
(感謝の本質について、私なりの想いの過去記事がありますので、よければご覧下さい → たいぞうの想い48)
そういった行為の積み重ねこそが、真に豊かな社会を創り上げる礎になると信じています。
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ただ、先にも書いたように、この様な意見は人にとって耳が痛いことでしょうし、”押し付け”と受け取られて反発されることも多々あるものです。
自身の快楽を否定されることは、誰にとっても不愉快な事であるため、食の嗜好についてとやかく言うことは、あまりいい顔をされないのが実際の所です。
しかし私は嫌われることも恐れず、自分の正しいと思う主張を堂々と伝えていくべきだと思っています。
昔はたくさん居たであろう、厳しさの中にこそ本当の優しさと愛情のあった、「近所のカミナリ爺さん」の姿が、私の理想の姿なのです。
そしてそれこそが私の、玄米屋たいぞうの「信念」と言えることなのです。
色々な意見を”押し付け”の様に受け取る方もいますが、”躾(しつけ)”とは”押し付け”によって身に付くものです。
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子供の躾のためには押し付けこそが必要だと、私は考えています。
ただ、大人は子供に対してあれもこれも押し付けるのではなく、何を押し付けるかをしっかりと見極め、子供が”楽しめるように”押し付けることが、何より大事なことだと私は思います。
そして、大人であれば”押し付け”を跳ね除けるのではなく、受け入れつつも、自分なりの「より良いカタチ」にさらに昇華させることが大事なことだと、私は考えています。
この「たいぞうの想い」を読まれた方々が、これをきっかけに、 ご自分のより良い想いや考えをさらに昇華させることが出来たならば、私にとってそれほど嬉しいことはありません。
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