玄米屋たいぞうは何のお店?と聞かれたときに、私はいわゆる健康食品のお店とは思われたくはありません。
どういうことか?
私の目指すところに、人の長期的な視野での生活の質の向上を考える、コンサルタント的な目的があります。
玄米という商品は、コンサルの手段のひとつとして取り入れています。
今、市場に出回っている健康食品とは、すべからく個人の欲望を叶えるための商品であるといえるでしょう。
しかし、その欲望が未来を見据えたものであるものとは私には決して思えないのです。
それらは、そのとき瞬間の欲望であったり、せいぜいが自分の一生の時間を満足させるためだけの欲望である場合が多いように思えます。
そのような個人の欲望ばかりを叶える商品が、より良い未来をつないでいくための商品になるとは私にはとても考えられません。
ですから、玄米屋たいぞうは単純な個人の欲望だけを叶える手伝いではなく、「より良い未来を子供たちのためにつなぎたい」という欲望をかなえる、お手伝いをする店でありたいと思っているのです。
今の世の中は、より多くの商品を売るがために、また広告などがより多くの人の目を惹くようにするために、様々な情報が溢れかえっている状況であります。
そしてそのような状況の中で、個人の欲望をより叶えることのできる商品がもっとも信頼され、ますますと安価になり、市場を席巻していきます。
例として、携帯電話やコンビニ、外食チェーンの台頭などが挙げられますが、このことは自由市場原理、資本主義のルールに法っている以上は、決して覆ることのない現象であるといえるでしょう。
もちろん、世の中の人達がより便利な生活を享受できる様になる上で、そのルールを覆す必要などはないと思いますが、「食」の分野でこれ以上、自由市場原理のまま、個人の単純な欲望のままに突き進むのは、非常に危惧することと私は考えています。
私がまだ小さな子供であった約三十年前には、今ほどに高カロリーで栄養豊富な食料が、いつでも手に入るような環境ではありませんでした。
しかし今では、簡単に豊富な栄養を摂取できる様々なサプリメントや、非常に味覚に刺激性の強い食物、高脂肪、高カロリー、例えば菓子パンなどの噛む必要のほとんどない柔らかい食べ物といったものが市場を席巻し、しかもそういった商品ほど安易に手に入れることが出来ます。
あらゆる食料が「個人の瞬間の欲望をかなえる為のより良い商品」として変化し、市場を席巻しているのです。
しかも、今日本はそういった商品が飽和している状況であるにも関わらず、まだその欲望をあおり続ける商品が増え続けることを、私達は憂わなければなりません。
生まれたときから人間の欲望を必要以上に満たす食料に恵まれ、それらを摂取しながら生きる、今の子供達に近い将来起こりうることを、私達は憂わなければなりません。
アレルギーやガンなどのあらゆる文明病は、人が満たされ続けたことにより起こる病気です。
満たされ続けたことにより、人としての肉体の機能が脆弱化したことにより起こる病気なのです。
最早、我々は満たされ続けることの危険性を認識しなければなりません。
自然食品とはけっして美味しいもの、旨いものばかりではありません。
苦かったり、酸っぱかったり、人の体にとって優しくない場合のほうが多いでしょう。
しかし、本当の健康食品とは人間の体にやさしいものばかりではないのです。
体にとって優しくないからこそ、体がそれを克服しようと能力を高めることにつながるのです。















