前回の話はこちらから
・・・・キリなく活発化を求め続ける経済の動きの中で、私達は化石燃料などから得られる莫大なエネルギーや地球上の多様な物質を、ただただ消費し続けることによって、様々な「楽」や「便利」といった価値を多くの人達に提供し続けてきました。
私達はそうした価値に”それぞれの自分の満足”を見出しながら生活を営んできました。
「楽」や「便利」という価値によって得ることができる自分の満足や自分の安心といった己の感情のために、
莫大なエネルギーを消費しながら、様々なモノや環境をキリなく変化させ続け(コントロールし続け)、
そうやって創り出したモノや環境に、これまたキリなく依存し続けながら私達は生活しているわけです。
そうした中で、先に説明したように社会においては経済の活発化を求める動きが止むことはありません。
それはつまり、現代社会に生きる私達はこれからも多大なエネルギーを消費し、モノや環境をキリなく変化させ続けなければ、自分達の生活を維持していくことができない・・ということでもあるわけです。
現代社会の中で生きる以上は、残念ながらその社会の流れ、経済の動きに抗うことは難しいでしょう。
そして次の認識が大事なのですが、そのような社会の流れに乗って自分の満足や安心のためばかりの行動をとり続けていれば、それによって蝕まれることになるのは「自分の健康」ではなく、「人の健康」、「人としての健康」だということです。
・・・繰り返しますが、私達はこの社会の中で「自分にとっての楽や便利」といった価値を求め続け、その自分の満足のため(自分の健康維持のため)に自分以外の存在をキリなく変化させ、自分に都合が良いようにコントロールし続けることを推奨してしまっています。
そうやってそれぞれの人達が自分に都合が良いようにモノや自然環境を変化させ続けていれば、果てには人という存在の有様もが変化していってしまうのは当然の出来事なのです。
(自然を変化させ、人に都合よくコントロールしている実際の例として、食の分野においては”加工食品の乱立”や”食品の工業化”などが挙げられます)
なぜならば、人の肉体とは他の様々な物質や環境によって構成されているものであり、それはまさしく自然環境そのものなのですから。
・・・では実際に人の存在の有様、人の肉体は一体どのように変化してきているのでしょうか?
それらの変化の具体的な例としては、玄米屋たいぞうの想い65でも書いたように、ヒトの生殖能力の低下、自律神経系や内分泌系、免疫系などの維持能力の低下などが一つの例として考えられます。
また地球上においてヒトの数が圧倒的に増加し続けていることも、人の存在の有様の変化、環境の変化の結果として挙げられます。
そして、さらには科学の発達により、「クローン」といった存在をも生み出すことの出来る技術が人間社会の中で確立されつつありますが、そうした技術によって寄与される個人にとってのさらなる便利や楽といった価値が、人としての存在の有様に今後どれほどの変化をもたらすことになるのかは想像に難くありません。
・・・・様々なモノや自然環境をそれぞれの自分にばかり都合が良いようにコントロールし続けてきたことにより、日本の食を取り巻く環境は「飽食」や「崩食の社会」と呼ばれるようになって久しくありますが、そのような時代環境に生まれてきた人達はそうした状況がその人達にとっては普通だと認識します。
ラクな環境や便利なモノに慣らされてしまった人の心や肉体にとっては、その飽食や崩食と呼ばれるようにまで変化した社会環境こそが普通の状態となるわけです。
すると、そういった環境に順応した人達の中には、多大なエネルギーに依存しながらも、自分にとって都合よくコントロールされた環境でなければ生活できない、生きられない・・・という怖れの感情を生じさせてしまう方も少なくないのですが、人の健康、とくに人の心の健康を害する最も大きな要素の一つが、じつはこの「怖れの感情」なのです。
(ちなみに「怖れ」は「不安」とはまた少し違います)
(この「怖れの感情」についてのくわしい話も、次回以降に「人の心の健康」と題して説明していきたいと思います)
・・・経済を活発化させようとする力は、
「より多くの人達により多くのモノを売ろう」
といった動きをも促進します。
そのため食の業界では、より多くの人達に「もっと欲しい!」「もっと食べたい!」と欲求されるような食品や、より安価な食品の開発などに拍車がかかり続けます。
経済は多くの人達の”食の欲望”を煽ることにも余念はありません。
そうやって”食の欲望”を煽られた人達の多くが、生じてしまった自分の欲望を満たすために、人の手によって様々にコントロールされた(加工された)食品や食のシーンなどを求めて快楽を得ようとするわけですが、その大きな快楽から必要以上に食べ過ぎてしまう人達も後を絶ちません。
そして食べ過ぎることでヒトが病気となるリスクは飛躍的にアップしてしまいます。
肉体の健康を害する最も大きな要因、科学的に因果関係が明確となっている事実が「必要以上に食べ過ぎること」なのです。
・・・・実際に病気になったり、病気になることを恐れだすと、次に人は医療業界に自分の安心や満足、便利といった価値を求めていくことになります。
医療業界においても、もちろん経済を活発化させようとする働きは作用しており、多くの人達に安心や満足を与えるための便利な医療サービスが次々と提供され続けています。
ですが、もし私達がその過剰ともいえるであろう医療行為に依存しなければ自分の健康を存続できないというのであれば、それはもはや人としての健康を著しく損なってしまっていると言えるのではないでしょうか。
なぜならば現代医療は膨大なエネルギーの消費を前提にして成り立っているため、それはつまりこれからも自然環境をキリなく変化させ続けなければ、現代医療を維持していくことは出来ないということになるからです。
それは言い換えれば、人(の肉体)の自然な有様をも自らキリなく変化させ続けなければ、現代医療の維持は成り立たない、つまり自分の健康を維持していくことができないということなのです。
なんとも皮肉なことですが。
また話は少しズレますが、今の医療業界が多額の税金の投入があって初めて成り立っているという事実も、これからは大きな問題となっていくことでしょう。
・・・ただ、こうした話を聞くと、大きな不安に襲われてしまう方々もいらっしゃるかもしれません。
しかし、人の不安を煽ることは私の本意ではありませんし、そのようなことは望んでもおりません。
先に申しました様に、私達がこうした社会の流れ、経済の動きに抗うことはまず不可能です。
そもそも、それが現代社会としてのある意味自然な流れですので、その自然の出来事に対して不安になることなどありません。
人の欲望を否定する必要もありませんし、経済の流れというものは”人が生活していく中で安心や安定を望む心”から生じている人のダイナミズムであり、ヒトという生物が常に安心というものを必要とする不安定な存在である以上、その流れを否定しても仕方がないのです。
・・・ただ、私達がその”自分の安心”、”自分の満足”、”自分の健康”を得るために、「楽」や「便利」といった価値に依存し続けることで、どれ程多くのエネルギーを消費使用し、結果として私達が住んでいる環境の秩序をどれほど乱し続けているのか?
そういった認識は人として持ち続けるべきであり、そうした事実に対しての何らかの対策の手段を考え、それを実行していくことが、私達が「人」として生きていくために大事な”思いやり”なのではないかと私は思うのです。
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