気という漢字が、以前は「氣」と書かれていたことは、現在でも多くの人達に知られていることだと存じます。
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ところで、この「氣」という漢字の中には「米」という字が含まれていますが、それは一体どうしてなのでしょうか?
その理由は、昔の日本人にとって「米」こそが、日々の生活のための原動力であったことに由来します。
西欧文明が流入し始めた明治時代よりも以前の、江戸時代、平安時代などの古代における武士達の日々の食事は、「米」が中心であったことが、昔の文献などにより明らかになっています。
その一日の食事の内容は「五合の米、汁物と、漬物や少々の芋などのおかず」というように、まさに米こそが当時の人達の主食であったことが判明しているのです。
かの宮本武蔵も、諸国修行の際には玄米を干して作った糒(ほしいい)なるものを常備し、それを主なる糧としていたことも知られています。
一日に五合の米と聞くと、その量に驚きを感じますが、他におかずをそれほど食べていないことや、玄米ごはんの消化吸収率は白米と比べると低いことを考えると、大人の所要エネルギーとしても大体適正な量であります。
(玄米ごはん五合分で約2,500kcalの計算となります。ただし、すべてが消化吸収されるわけではないでしょうから、その他の副菜で不足分のエネルギー量を補っていたことが推測されます)
米と言いましても、もしそれが白米ごはんだとするならば、先に挙げた食事の内容では確実に栄養不足に陥ってしまいます。
なぜならその食事の内容では、ビタミンB群やたんぱく質、各種ミネラルなどの、人が生きるために必要な栄養素の摂取が不可能であるためです。
しかし玄米ごはんであったならば、人が生きるために必要な栄養の大部分をバランスよく摂取できるため、玄米こそが当時の人達にとって最も重要な食料だったことが容易に推測されるわけです。
(当時は圧力鍋などはありませんでしたので、普通の鍋で炊き上げるためには、ある程度搗いた状態の玄米であったことは考えられます)
米(玄米)には人が生きるための栄養が、非常に豊富に含まれているわけなのですが、稲の持つ強靭な生命力こそが、その豊富な栄養の有様を示唆していると言えるでしょう。
下の写真は収穫を終えた後の田んぼの様子です。
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根元から刈り取った後にも関わらず、すぐに再びこの写真のように生き生きとした青葉を繁らせ、さらには稲穂まで実らすほどの生命力を持つ作物、それが稲の特徴であり、その種である「米」は、まさしく人が生きるための元気の源になるというわけです。
この米のもつ生命力を、有りがたく頂かないことには本当にもったいないことです。
ただ美味しいからといって生命の重要部分を捨ててしまう、つまり白米にしてしまうのでは、じつは本当にもったいないことをしているということを、たくさんの方々に知っていただきたいと、玄米屋たいぞうは常々思っているのです。















