玄米屋(げんまいや)たいぞうのホームページ食育と玄米

食育と玄米

 

 

 現在、食事による栄養摂取の、国が推奨する指針においては、4群点数法が基本として構築されていますが、料理の組み合わせを中心に表現したバランスガイドというのも推奨されています。

 

 昔よく言われていた「一日30品目の摂取を目標に!」なんてのも、まだバランスガイドにあったような気がします。

 

 

 しかし、それらはいずれにしても、白米を主食として考えた指針であり、玄米を主食に考えると内容はまったく変わってくるのです。

  

 玄米を主食にすると、様々なミネラルが摂取できるため、副菜の摂取によるミネラルの補充をそれほど必要とはしません。

 

 わざわざ30品目もの他の食材を取り入れるまでもなく、玄米だけで人が生きるために必要な栄養素のほとんどの種類や量が摂取できるのです。

( もちろん、玄米だけでは足りない微量栄養素や、玄米を摂取する”量”によっても、足りない栄養素などがありますので、けっして玄米だけでこと足りるわけでは無いことをご認識下さい )

 

 

 そもそも、昔は玄米をほとんど精米せずに食べることで、食料が豊富でない時でも栄養不足になることなく、人は生きていくことが出来たのですが、玄米の薄皮をむいて白米にすると「甘くて美味しい」ため、皆が白米を選ぶようになったという経緯があるのです。

 

 

 

 「美味しい」という喜びを得るため、わざわざ栄養を捨てたわけですが、それだけでは当然栄養不足になるので、何かで補充しなければいけません。

 

 

 その「何か」にも、さらなる「美味しさ」だけでなく「豊富な栄養」を求め続けてきた日本人は、「今」がどれほど「恵まれている」かしっかりと認識しなければならないのではないでしょうか。

 

 

「驕る平家は久しからず」「盛者必衰の理をあらわす」

 

 

 今の自分だけが楽しめれば良いと考えるのなら、別にそれも数ある生き方の一つだとは思いますが、未来の子孫達の幸せをも考える知性を持つのであればいかに自己を制御することが出来るか、そういったことも考え、実行するべきだと私は思うのです。

 

 

 それこそが「良い生き方」につながるのではないかと、たいぞうは考えています。

 

 

 

 人の嗜好というものは、人それぞれ、そして瞬間瞬間において様々ですので、「・・・を食べなければならない」などと、人に押し付けるのは非常にナンセンスなこと、と私は考えています。

 

 本来、人間は「そのときの自分の肉体が欲している栄養を摂取できる食物」を選ぶことの出来る能力を持っているため、自分のその能力を高めることで自身にとって、より相応しい食べ物を、相応しい食べ方で食べることが出来るそうです。

 

 

 しかし、「旨い」「美味しい」と感じる食べ物ばかりが脚光を浴び、さらに資本主義思想および自由市場原理の中で、「旨さ」や「美味しさ」ばかりが煽り続けられてきたことにより、今の日本は「旨い」「美味しい」食べ物ばかりの世の中になってしまいました。

 

 旨くない食べ物は人工的に「旨み」を添加され、美味しくない食べ物は市場の片隅に追いやられるばかりです。

 

 

 

 アレルギーに悩まされるお子さんを持った親御さんはご存知でしょうが、アレルギーを発症する理由の一つに高脂質、高タンパクの食料(卵や牛乳など)を摂取することがあります。

 

 なぜ子供がそのような食べ物を食べることでアレルギーを起こすのでしょうか?

 

 それは我々親の世代が、「旨い」「美味しい」高脂質、高タンパクの食事ばかりを摂り続けてきたために、自己免疫能力や消化能力などを衰えさせてしまったことが理由の一つとして推測されるのです。

 

 

 脆弱化した自己免疫能力などの機構を受け継いだ子供が、その能力が脆弱化していなければ本来発症しないはずのアレルギーを発症してしまうのです。

 

 成長するにつれ免疫能力は向上していくので、アレルギーは次第に発症しないようになっていきますが、果たしてそれで安心して良いのでしょうか。

 

 

 アレルギーの元々の原因は、親の食生活のあり方に原因が考えられるのです。

 

 もし、親が今の食生活のあり方を改善しようとしなければ、その子供は当然、親と同じ道を歩むでしょう。

 

 そして、その子がやがて親になったときに、また同じようなことが起こる可能性があるのです。

 

 しかも、より劇症化した形で起こりうることも考えられるでしょう。

 

 そのように考えれば、これからの子供達の未来を想い、私たちが何をすべきか考えたとき、自ずと答えが出てくるのではないでしょうか。

 

 

 

 私は人が「食べたい」=「ウォンツ」という欲求を、あれこれと「こう食べなければならない」=「マスト」にするべきだとは考えてはいません。

 

 

 ただ一つ、「こうしなければならない」という考えがあります。

 

 それが、私たち今の親の世代の人達が、「食」の分野において、この日本という大きな船に掲げる1本の「マスト」は、「より良い未来へつなぐべき食のあり方を考えなければならない」ということです。

 

 そう考えれば、私達大人が「旨い」「美味しい」食べ物ばかりに惑わされず、伝統食を次の世代に残すことや、たとえ不味いと感じる食べ物でも慈しむ心を持つことや、きちんとした食べ方をしている自分の背中を子供に見せるんだ、という思いに自然と到達することでしょう。

 

 

 

 私は少しでもたくさんの人たちが、そのように考えてくれることを願っています。

 

 

 

 日本の現代栄養学は、非常にクオリティの高いものであり、最近では遺伝子レベルでの研究分析等も活発化するなど、その進歩にも素晴らしいものがあります。

 

 しかし玄米屋たいぞうは、その現代栄養学を学ぶ人達の、根本的なところに、「重大な間違い」があるようにおもえてならないのです。

 

 

その一つは、「カロリーを主体に考えるような場合が多い」ことです。

 

 

 カロリーベースで思考するということは、未だに食料を燃料として捉えていることが考えられます。

 

 

 現在の医学における常識として、食料は人体にとって燃料ではなく、言うならば「組織を入れ替えるために必要な同志」ということが、広く知られています。

 

 

 つまり万物流転、新しく取り入れた食料が自身の細胞になり、それまでの古い細胞は糞尿などとして排泄されることは、今や常識として知られていることなのです。

 

 

 栄養学においても、それをしっかりと認識しなければ、根本的なところで勘違いをしてしまうことは必至でしょう。

 

 

 

 もう一つは、国の定める食生活指針の内容です。

 

 

 全10項目ある中で、最初の一項目だけが全くもってナンセンスな内容と言えるのです。

 

 

「食事を楽しみましょう」

 

 

 国の定める指針の一番目の文が、このような訳のわからないことを堂々と示しています。

 

 

 そもそも人にとって、空腹はもっとも大きなストレスであり、それを食事で満たすことは大きな快楽になるのです。

 

 わざわざ国の指針として示すまでも無く、病気でもない限り、ほっといても誰でも食事を楽しんでいるものです。

 

 現代社会の問題は、皆が食事を楽しみ過ぎているから、様々な生活習慣病を引き起こしているところにあり、国がわざわざ「食事を楽しみましょう」などと推奨することには、全くもって同意できません。

 

 

 孤食化している現状を憂いて、そのような文面を作ったのかもしれませんが、そうであれば「如何に楽しむか」が重要なことであり、そのためには「食事に対しての感謝」は欠かせません。

 

 

 ですから、本当なら国が第一文として示すべきは「食事に感謝しましょう」であるべきなのです。

 

 

 日本の現代栄養学は、非常に質が高いものであることは認めますが、このような根本的なところを正さない限りは、いつまでたっても真の改善は果たすことは出来ないのではないでしょうか。

 

 このような考えの下で、今もたくさんの栄養士や管理栄養士が育ち、食事を楽しむことを第一義として推奨し続けているかも知れないのですから。

 

 

日本人の1/10の人達が、毎日の食の習慣を一週間の内、3食だけ変えた時のことを考えてみます。

 

一年にすると、一人当たり約150食分を変えることになりますが、すると1/10の人口を1,000万人として考えれば、1年に15億食分の内容が変わることになります。

 

 

15億食もの食料を、目先の快楽だけで選ばずに、何を選ぶか少し考えて実行するだけで、どれほど世界が変わるか考えたことはありますか?

 

 

 

やがて衰えることが確実な自分の健康、日本の環境、地球の環境。

 

次世代に残す文化や、子供たちのより良い成長。

 

自分のこころ、他人のこころ、様々な他の生命体との共存。

 

 

 

もちろん自利的に考えても、快楽の欲望を変換するだけで、食費をずいぶんと減らすことが出来ますし、後々の健康リスクが減ることで、将来、必ず発生する医療費による出費リスクも減ることが考えられます。

 

 

これだけ変わることがハッキリ予測されているというのに、未だに旨いもの、美味しいものを煽るような情報ばかり流す、マスコミを代表とした一部の人達の品性に、私は疑問を持っています。

 

 

キリのない欲望を膨らまし続け、それによる経済活動が少々活性化したところで一体何になるのでしょうか。

 

 

キリの無い欲望の果てには、そう遠くない将来、人にとって様々な困難が待ち構えていることを、今ここに断言したいと思います。

 

 

 

 現在、食事による栄養摂取を推奨する指針は、4群点数法を基本として構築されていますが、料理の組み合わせを中心に表現したバランスガイドというのも広く公表され、推奨されています。

 

 昔よく言われていた「一日30品目の摂取を目標に!」というのも、バランスガイドにあったような気がします。

 

 

 しかし、それらはいずれにしても、白米を主食として考えた指針であり、玄米を主食に考えると内容はまったく変わってきます。

 

 

 なぜなら、玄米を主食にすると、白米には無い、様々な栄養が摂取できるため、つまり副菜の摂取によるミネラルやビタミン、各種微量元素等の補充をそれほど必要としないからなのです。

 

 

 そもそも、昔は玄米をほとんど精米せずに食べることで、食料が豊富でない時でも栄養不足になることなく、人は生きていくことが出来たのですが、玄米の薄皮をむいて白米にすると「甘くて美味しい」から、皆が白米を選ぶようになったという経緯があります。

 

 「美味しい」という喜びを得るため、わざわざ栄養を捨ててきたわけですが、それだけでは当然栄養不足になりますので、何かで補充しなければならないわけです。

 

 

 その「何か」にも、さらなる「美味しさ」だけでなく「豊富な栄養」を求め続けてきた日本人は、「今」がどれほど「恵まれている」かしっかりと認識しなければならないのではないでしょうか。

 

 

 玄米を主食にすれば、わざわざ副菜により他の栄養を補う必要などほとんど無いにも関わらず、自身の食の快楽を得るために無駄を出すことを、異とも思わないのが現代社会の現実です。

 

 

「驕る平家は久しからず」「盛者必衰の理をあらわす」

 

 

 今の自分だけが楽しめれば良いと考えるのなら、別にそれも数ある生き方の一つだとは思いますが、未来の子孫達の幸せをも考える知性を持つのであれば、いかに自己を制御することが出来るか自分の欲望をいかに違うカタチに変換できるか、そういったことも考え、実行するべきだと思っています。

 

 

 

とはいえ、様々な食べ物を楽しむことは、自身の心と身体の活力の源であり、けっして非難されるものではありません。

 

 

 非難されることではありませんが、様々な食べ物を食べることについて、ただ楽しむことを良しとするのではなく、何より先に「感謝の心」を抱く事が、とても大事なことなのではないでしょうか。

 

 バランスの良い栄養の摂取を推奨するためには、楽しむことを一番に推奨するのではなく、何よりも「感謝の心」を持つことを推奨するべきと、玄米屋たいぞうは考えています。

 

 

 

 

普段から玄米ごはんを食べている人の中には、”健康のため”に、玄米ごはんを食べている方々が多いのではないかと思います。

 

そこで思うのですが、本当に玄米ごはんを食べることは健康に良いのでしょうか?

 

玄米ごはんを食べることが、なぜ健康に役立つのでしょうか?

 

 

玄米のメリットを調べてみると、様々な栄養成分が豊富に含まれていることが、主に挙げられています。

 

なるほど、玄米ごはんを食べることで様々な栄養を摂取することができるため、玄米は健康に良いと考えられているようです。

 

 

では、もし様々な栄養を摂取することが、より良い健康に結びつくと言うのであれば、その栄養成分を抽出したサプリメントをつくり、手軽に摂取できるようにすれば良いのでは?と考えられますが、玄米屋たいぞうはそのような安易なカタチでの栄養摂取による、ヒトの健康の確立には疑問と懸念を抱いています

 

 

野菜の栽培などの例を考えれば理解できますが、ただ良い栄養を与えることが、丈夫な野菜の成長につながるというわけではなく、実はある程度満たされない状況下に置いてやった方が、深く根を張ることにつながり、最終的に丈夫な作物に育つということが、昔から経験則として知られています。

 

そのようなことを踏まえて、玄米ごはんのような”粗食”を摂取することで得ることの出来る本質的なメリットとは、各栄養素群の摂取だけではなく、人の肉体にちょうど良い負荷をかけることで、自身の能力が向上することに役立つことなのではないかと、玄米屋たいぞうは考えているのです。

 

 

もちろん、良質な栄養の摂取も大事な事ではありますが、足りなければ足りないで、いくつかの栄養素においては、自分の体内で合成する能力を、人間は持ち合わせています。

 

もし、あらゆる栄養に常に満たされた状態に置かれ続けているとすると、その状態に慣らされた肉体は、本来持っている能力を活かす必要がなく、眠らせてしまうことになります。

 

ですから、そのような状態に慣らされてしまうと、逆に豊富な栄養に満たされた状況でないと生きていけないような、脆弱な肉体になってしまう恐れがあるというわけなのです。

 

 

 

ところで、ネット上では玄米食に批判的な意見や、一部の書籍に否定的な意見が書かれてはいますが、私に言わせれば、玄米を好きではない人が、無理やりデメリットを探し出しているようにしか見えません。

 

どのような食べ物にも、人にとって何かしらの良い面と悪い面があって当たり前であり、物事を浅はかに判断するのは、ただただ愚かなことと言えるでしょう。

 

人にとって良いと考えられるものばかりを摂取することが、本当に良いことにつながるとは限りません。

 

人にとって良いと考えられていたことが、実は悪影響を与えていたり、人にとって好ましくないと思われるものが、逆に人の能力を向上させることにつながる、などということは往々にしてあるものです。

 

 

自然食品とは、まさに自然そのものであり、固かったり、苦かったり、酸っぱかったりと、人にとっては厳しいものであることが多いでしょう。

 

しかし、その厳しさこそが自然の与えてくれる試練であり、自然の本当の優しさといえるのです。

 

その試練を乗り越えることで、自身のより良い向上が導かれることになるのですから。

 

 

玄米ごはんを食べ続けることは、白米ごはんなどの現代食(つまり、人にとって優しい食)に慣らされた現代人には苦痛をともなう事かも知れません。

 

固い外殻に覆われている玄米を消化吸収するために、肉体の様々なところで負荷がかかり、また、精製された食品とは違い、アクなどや肉体にとってさほど不要な成分なども含まれているため、摂取することで様々な代謝活動を行う必要があるなど、玄米とは決して肉体にとって楽な食品ではないと言えるでしょう。

 

しかし、その自然の試練を乗り越えることで、強靭な肉体を手に入れることが出来、それにより様々な病気などに打ち勝つことができる様になるのではないかと、玄米屋たいぞうは考えています。

 

その事こそが”玄米食で得ることの本質”であると、私は考えているのです。

 

(玄米食の本質と秘訣 其の一 は、こちらをクリックするとご覧になれます)

 

大沢博氏の著書

 

玄米屋たいぞうのお隣にあるお店で、非常に興味深いタイトルの本を見かけたので、お借りしてみました。

 

大沢博氏の著書、「食事崩壊と心の病」です。

 

 

この本の内容を大まかに説明すると、心理学者である大沢氏が、あらゆる精神疾患の原因として「食事」が強く関与しているのではないか、という仮説を立て、それらの検証をするために様々な事例を紹介していく、といった流れの内容になっています。

 

 

精神疾患には、うつなどの軽いものから、アルツハイマーや統合失調症などの重大な支障に至るものまで、様々なカタチがありますが、大沢氏は「現代食」が起因となる「低血糖症」こそが、それらの精神疾患の根本的な原因の一つではないかと睨んでいるようです。

 

様々な精神疾患の原因が、すべて食生活にあると決め付けるには早計ですが、精神疾患もアレルギーや糖尿病、ガンなどの現代病と同じく、様々な原因が複合的に絡み合って起こる出来事であり、その原因の重要なものとして、現代の食生活が挙げられることはまぎれもない事実だと、私も認識しています。

 

 

食べ物で心が変わる?と思われる方もいらっしゃるでしょうが、大沢氏の仮説はまず間違いなく的を得ているのではないでしょうか。

 

 

ただ、この本の内容は仮説を正当化させるために、あまりに一方的な事例の紹介と考察になっているため、普通の人にとっては、やや気が滅入る内容かも知れません。

 

大沢氏は、砂糖やブドウ糖などの精製された糖類や、白米などの精製炭水化物を、常日頃から摂取するような食生活が諸悪の根源だと言い切り、砂糖の摂取をやめ、未精製の米を中心とした食生活にしなければならないことを提唱しています。

 

しかし、今の自由を尊重する気風の社会の中で、一般のさほど健康に気をつかう必要のない人々にとっては、そのような食生活に変えるということは、やはり簡単な事ではないと私は思うのです。

 

 

氏は本の中で、科学的な見地からも非常に説得力のある推察を色々と紹介しており、論理的に考えれば氏の提唱する食事、食生活のスタイルにすることが、どれほどヒトにとって良いことであるか、理解できる内容となっています。

 

 

ただ、やはり人は感情の生き物です。

 

どれほど論理的に正しかろうが、目の前の快楽には負けてしまうのが大抵の人々の行動パターンであり、そして自分の選んだその行動を、他者に否定されることを不愉快に感じることも、やはり大抵の人々の行動パターンでしょう。

 

そして、自分にとって完全にマイナスになるような事象が起きてから初めて、それまでの快楽を手放すことを受け入れるようになるのが常であり、自分にとってのマイナスを、事前に予測した上での快楽の放棄は、そう簡単なことではないのが一般的な現実の出来事なのです。

 

 

そのように言ってしまうと、元も子もないように思われるかもしれませんが、そのような現実の出来事をしっかりと認識することが、まずは大事だと私は考えています。

 

 

精製された食物は、生き物にとって本能的な快楽を得ることの出来る食べ物であり、一度その快楽を経験すると、再度その快楽を得ることを強く欲求するものです。

 

この欲求は、誰しもが本能として持っているものですので、仕方のない欲求といえるでしょう。

(関連した内容の記事を、玄米屋たいぞう便りに書いています。ぜひ一読してみて下さい。)

 

 

しかし、ヒトは知性や理性といったものを持つことで、その欲求を「本能を超えた欲求」に変換することが出来るのです。

 

様々な知識を元に、本能による欲求や、また別のカタチの欲求である「本能を超えた欲求」が、自分の中にあることを理解し、そして理性により自分や未来にとって、より良い結果を導くための行動欲求を選択することが出来る生き物であるのが、ヒトという動物です。

 

 

 

自身の快楽を満たすことが幸せな事だと考えている今の社会においては、自分が美味しいと感じる食事、純粋に旨いと感じる食事を、自分が食べたい時に食べたい様に摂取することに、やましい事など何も無いのが至極当然、という風潮の世の中となってきています。

 

しかし、そのように多数の人達が本能の赴くままに食料を摂取したり、多数の人達が本能の欲求ばかりを刺激するような食品をプロデュースしていくことが、後々の自分達にとって、そして未来の子供達や、今の地球の環境にとっても、どれ程のリスクと悪影響があるものかを、たくさんの人達にしっかりと認識してほしいと、私は思うのです。

 

そのような思いから、人にとってより良い未来を創り上げるための手段や気付きを少しでもたくさんの人達に提供していきたいと考え、これからも玄米屋たいぞうの経営を頑張っていきたいと、今あらためて想っています。

 

  

「玄米食はダイエットにもってこい」という話は、皆さんよく聞く話だと思います。

 

しかしそれだけではなく、玄米を中心とした食事法で生活することで、太りたくても太れない人にとっても、良い効果が得られる可能性があるのです。

 

それはどういうことでしょうか?

 

その理由を知る前に、まずは”太りたくても太れない人”、つまり、”いくら食べても太れない人”の、その原因を知ることが必要です。

 

 

(あらかじめ断っておきますが、けっして病気の方を対象にした話でなく、遺伝的な要素が強く関与した、肉体の体質が原因と思われる方を対象にした話であることを御理解ください)


(また、例え話ではありますが、タンポポがひまわりになろうとしても無理な話で、タンポポにはタンポポの良さがあり、太りにくい体質も個性だということを自分自身で認めることが、まずは大切です

それを十分に認識していただいた上で、今から紹介する、自分の能力を高めるための提案についてを御理解いただきます様、お願いいたします。)

 

 

 

”いくら食べてもなかなか太れない人”には、実に様々な要因があるのですが、根本的な要因の一つとして、自分の体質の問題というのが考えられます。 

 

太れない人の体質は、一般的な人と比べると、各消化器官の消化吸収能力が劣っていることや、体組織生成能力が劣っていることが考えられるのです。

 

また、肝臓の能力が低いと、様々な栄養の生成抽出能力などの代謝能力も低いため、それも原因の一つとして考えられるでしょう。

 

 

ですから、そういったタイプの人は、一般的な人よりも筋肉が生成されにくく、そのため猫背になるなどして、骨格の歪みが生じ、その結果、血流の流れが悪くなったり、内臓に負荷がかかることでその機能が落ち、ますますの悪循環に陥ってしまう、という後天的な原因もが発生してしまうことになるのです。

簡単に説明すると、以下のような流れになります

 

 

 小腸での消化吸収能力が比較的低い(消化器官の能力や酵素などの生成能力が低い)

または、栄養の生成、代謝能力が比較的低い(主に肝臓の能力が低い)

または、体組織生成能力が比較的低い

               ↓

 筋肉が生成されにくいため、体を支えきれず骨格が歪んでくる(猫背など)

               ↓

※ 骨格が歪む事で内臓が圧迫され機能低下に結びついたり、血流が正常な流れとならずに滞ったりすることで、筋肉がますます生成されにくくなる。

 

 

ざっと上記のような悪循環のパターンが、太りにくい人達には多いようです。

 

 

ですから先天的な原因である、自分の体質をなんとかしなければならないわけですが、そう簡単には自分の体質が変わるものではありません。

 

 

しかし、今の食事のスタイルが、もし自分の体に合っていないものだとしたら・・・

自分が食べてきた食事が、本来の自分の能力を活かすことの出来ないものばかりであることを考えたら・・・

 

そう考えるとどうでしょうか。

 

 

多くの日本人は胴長短足で、つまり腸が長く発達していることが特徴です。

 

なぜ日本人の腸が長く発達しているのかというと、それには日本人が何千年も昔から、米や山菜といった食物繊維の多い食物を、主な栄養源として摂取し続けてきた歴史に理由があるのです。

 

食物繊維はそう簡単には消化できないことから、長い年月をかけて日本人は腸を長く進化させてきました。

 

また、食物繊維は小腸で吸収されない栄養素ではあるのですが、大腸内で様々な特有の菌が発酵する際に生成される、脂肪酸などの物質を自身の栄養源として吸収することができるため、大腸を発達させることは非常に理に適っていたわけです。

 

そのような独自の栄養吸収システムを発達させてきたため、日本人は肉類などの高タンパク質や脂肪を摂取せずとも、米や野菜を中心にした食事で、生きるために必要な栄養を賄うことが可能だったのです。

 

 

しかし、現代の私達の身の回りにある食料は、ほとんどが高タンパク、高脂質、高カロリーの性質の食料ばかりです。

また、米は精製されることで、食物繊維の含有量は極めて少なくなっています。

 

そして、それらの食料に含まれる栄養素は、人間の消化吸収システムにおいては小腸にて吸収されるものなのですが、小腸の消化吸収能力がそれほど高くないタイプの人は、効率よく吸収できないまま、それら未消化の食料が大腸に送り込まれることになります。

 

そして、その未消化の食料は先に説明したように、大腸内で菌による発酵が成されますが、脂質やたんぱく質などの発酵においては、自分にとって有益となる脂肪酸が発生されることはなく、逆に有害な物質などが発生することが多いのです。

(日本人に大腸ガンが多い理由には、このことが最も影響していると考えられます)

 

 

これらのことを踏まえて、現代食の特徴である、高脂肪、高タンパク、高カロリーの食事を摂取しても体重が増えない人には未精製の米や野菜などの食物繊維を多く含んだ、粗食を中心とした食事をとることを、たいぞうはお勧めします

 

小腸で吸収する能力が低くとも、発達した大腸による栄養の吸収システムが大いに役立つ可能性があるのです。

 

ちなみに小腸で吸収された栄養は必ず肝臓で代謝されてから全身に運ばれますが、大腸や直腸などで吸収された栄養は肝臓を介さず、直接全身に運ばれるため効率が良いことがあります。

(この大腸や直腸での効率の良い吸収を説明する際、「座薬の効き目が早い」という例が、理解を促すことに役立ちます。

つまり、吸収された栄養(成分)が肝臓を介さず、直接全身に運ばれることで、非常に即効性のある効果があるわけです)

 

 

ただ、注意したいのは、食物繊維の多い食事のスタイルに変えたからといって、すぐに効果があるわけではありません。

 

大腸内での発酵による脂肪酸などの栄養素の生成には、特定の菌の存在がかかせません。

 

つまり、自分の大腸内でそのような菌が最も活動できるような環境にならないことには、その恩恵を得ることは出来ないわけです。

 

そのような有用菌がスムーズに働くような腸内環境にするためには、食事の習慣を変えることが、やはり重要なのですが、それによって、すぐに腸内環境が変化するわけではなく、個人差はありますが、半年から1年くらいの時間が必要なようです。

(ちなみに、腸内環境を変えることで得ることの出来る、もう一つの恩恵に「おならや便が臭くなくなること」があります)

 

 

 

 

話は変わって、痩せ型の人には神経症ぎみの人が多いことも見受けられますが、人は心因ストレス下において、大量のエネルギーが脳内などで消費されることがわかっています。

 

神経症の人は、心因的なストレスをしょっちゅう発生しているため、常に大量のエネルギーを必要とし、結果太らない、太れない、ということがあるのです。

 

そして、さらには脳内での大量のブドウ糖の消費が低血糖症を招き、それによりますます神経過敏を招くといった悪循環が起こりうるのです。

 

この低血糖症による神経過敏を解決するためにも玄米を中心とした食事法が有効である可能性があるのですが、それについてはまた別の機会に述べたいと思います。

 

 

 

今や、どの医療関係書籍を読んでも、玄米ごはんを日々の食生活に取り入れることは、人にとって様々な面で、良い恩恵があることが説かれています。


であるにも関わらず、玄米ごはんを食べることを敬遠する人が、まだまだ非常に多い、というのが実際の所です。

 

 

なぜ、ヒトは玄米ごはんを食べることを敬遠するのでしょうか?

 

 

 ヒトは原始的な脳が求める、つまりは「本能」が優先的に求める食料として、自身の体にできるだけ負荷がなく、より効率よくエネルギーを摂取できるものを選択する傾向があります。

 

脂肪の多いもの   (g当りのエネルギーが最も高い)


甘いもの         (直接的にエネルギーとして使用される)

柔らかいもの     (肉体に負荷をかけない)


精製されたもの   (アクや雑味がないので、それらを処理するための余計な代謝活動を必要としない)
  

 

これらの食料の特徴は、すべて日本の現代食の特徴であるともいえます。

 

しかしながら、玄米ごはんにはそれらの特徴が何一つ当てはまりません。

 


玄米の主成分は炭水化物ですので脂肪は少なく、糠や膜、胚芽部分などには苦味や酸味などがあります。

 


白米と比べれば、食感は固くあたりますし、まったく精製されていない食品の一つです。

 

 

また、ヒトの食の嗜好には、成長期までの経験や親の食の嗜好が大きく関与し、成人すると本能的に求める食料以外のものに対しては、非常に保守的になる傾向にあるそうです。

 


ですから、ヒトが玄米ごはんを敬遠することは至って自然な事と言えるのです。

 

 

 

現在、飽食の環境に恵まれ、本能が求める食料ばかりで育ってきた私達現代人は、その効率性の良さにより、より大きな肉体を手に入れることに成功しました。

 


また、様々な薬や健康食品などが身近にあることも、その肉体にとって非常に優しい環境と言えるでしょう。

 

 

しかし今、その優しさの代償として、現代人は祖先から引き継いできた様々な能力を眠らせ、さらには、その能力がアダとなり始めている現実があるのです。

 

 

糖尿病やアレルギー、ガンなど現代病は、内臓内での免疫システム等の異常がきっかけとなり、起こる病気ですが、若年層でそれらの病気が増え始めたことには、甘やかされ続けてきた内臓が、その能力を退化させてしまった所にその一因があります。

 

人間が本来持っている能力を取り戻し、向上させる為には、適度なストレスの存在が不可欠です。

 

体に負担の少ない現代食に慣らされ続けてきた現代人にとって、玄米ごはんを食べることは、大きなストレスを感じることでしょう。

 

 

 


しかし、そのストレスこそが自身の内臓や代謝システムが正常に働くための良いトレーニングになり、自身の能力を向上させることにつながるのです。

 

 

玄米をスムーズに消化吸収することのできる内臓に変化し、それによって起こる様々な代謝活動に体が慣れる様になるまでは、大体3ヶ月くらいかかります。
(筋力トレーニングで筋力がアップするのと同様です)

 


そして玄米のような、難消化性の食物繊維を多く含む食料を中心に摂取し続けることで、腸内の細菌構成などが、日本人にとって最もふさわしい状態に変化します。

 

 

その結果、本来ヒトが持っている様々な能力が活性化することにつながり、具体的には、免疫システムの向上などといった様々な恩恵を得ることができるのです。

 

 

 玄米屋たいぞう便り4

 

 

 

先日、木村秋則さんの「奇跡のリンゴ」という本を読んでみました。


読み終えたときには、この本との出会いと木村秋則さんの存在に、心から感謝したいという気持ちでいっぱいになったものです。


なぜなら、その本の中には、私が玄米ごはんを通じて、皆さんに伝えたい事と、まさに同様の意味をもつことが書かれていたからなのです。

 

 

木村秋則さんは、絶対不可能とまで言われたリンゴの無農薬栽培を、約十年近くの苦闘の末、成功させた青森県のリンゴ農家の方です。


木村さんの成功の裏には8年間の失敗があったことが、その本の中では書かれていますが、その失敗の最大の原因として「目に見えることだけを考えていた」ということを如実に物語った内容となっています。

 


 
木村さんは無農薬栽培を試みてからの8年間、ずっと農薬の代わりになるものを探すことや、周囲の草むしりなど、もっぱらリンゴの木の周りの環境を整えることを重視し、そのために労力を費やしてきたそうですが、それら全てが間違いだった、つまり、リンゴの木の地上の部分、幹や枝、葉っぱなどや、それに付く虫だけを
見て、それらをなんとかしようと考えていたことが間違いだった、と木村さんは語っています。

 

これは多くの人達の考えについて、私が以前から指摘していることと、正に同じことです。

 

リンゴの木を人の体に例えれば、周囲の環境や食べ物を良いものにすれば良いと考えたり、体の外見ばかりに気を遣い、何とかしようと考えることが、木村さんの言う所の「間違い」になるのです。

 

木村さんが見つけた無農薬栽培の成功のきっかけは、リンゴの木の、人の目には見えないところ、つまり根っこやその環境(土壌)を考えることにあったのですが、人においては内臓や、それらを取り巻く環境を考える事がリンゴの木同様、大事なことになるのではないかと、私は考えています。

 


 
私達はどうしても目に見えることや、実際に感じることばかりを信じてしまう傾向にあります。


私達は自身の内臓の環境がどうなっているかを、直接見ることは出来ませんし、内臓がどの様に働いているか、などということも、自分では見ることも感じることも出来ません。


ですから、実際に見ることの出来る外見ばかりに気を遣ったり、自身が実際に心地良く感じることの出来る、旨い食べ物や、美味しい食べ物ばかりに囚われてしまいがちです。

 


しかし、木村さんの見つけた答えが物語っている様にそのような事ばかりに囚われ、体を甘やかし続けることは、肉体を本来あるべき姿から、より脆弱な姿へと導いてしまう恐れがあるのです。

 


そしてさらに危惧すべきは、子供がそのような親の姿を真似することで、それによって脆弱になった肉体の遺伝情報を、子や孫へと受け継いでいってしまう所にもあるのです。

 

 

現在、日本の食の環境は、大衆が本能の赴くままに求めるような美味しい食べ物、旨い食べ物ばかりが溢れ、手軽に得ることの出来る、非常に恵まれた状態です。


そして、より手軽にさらなる美味しい食べ物を得ることは、大きな快楽をもたらすため、誰もがその欲望を否定することに疑問を持ちません。


私はそのような環境の中で、先人達の尊い教えである「あらゆる食べ物に感謝して頂く」という美徳は、いつのまにか忘れ去られてしまったように思うのです。


旨かろうが不味かろうが、美食であろうが粗食であろうが、あらゆる他の存在を頂くことに感謝する心を育むこと、それこそが、より良い未来を導くことになるのではないでしょうか。

私はそう思えてなりません。

 

 玄米屋たいぞう便り3

 

 

 

 

玄米屋たいぞうの「食育の考え」は、けっして肉食などを否定するものではありません。

 

むしろ活発に活動する際や精力的な活動をする際には、肉食を勧めるほどです。

 

ただ、市場全体を見れば、すでに肉類などは非常に手軽に、そして極めて安価に手に入る世の中となっています。

 

 

であるにも関わらず、その需要をさらに増やそうと、人のあらぬ欲望を煽り、そのために必要以上の無駄なエネルギーを使用していることに対して、たいぞうは悲観しているのです。

 

 

玄米屋たいぞうの考える食育と、その先に求める姿は、一人ひとりが様々な食材をきちんと摂取できる能力を磨き、その上で、その時その時の自身にとって、より良い食材、食事を選択することができる能力を身に付けることです。

 

 

今の、「食」が飽和している日本において、これから本当に必要な「食」のあり方は、自らの欲望のコントロールに役立つ「食」である、とたいぞうは考えています。

 

私が「玄米ごはん」を、そのための手段の一つとして提案していることは言うまでもありません。

 

なぜ、玄米ごはんが自らの欲望のコントロールに役立つ「食」なのか?

 

これについては次回にお話したいと思います

 

(前回の「アレルギーやガンなどの現代病と免疫の話」はこちらをクリックしてください)

 

 

「玄米を食べることは体に良い」と、頭で理解はしていても、玄米を食べることをストレスに感じるという人は、依然として多いようです。

 

特に男性にその傾向が顕著に見られますが、その理由にはおそらく、本能的なところが最も大きく寄与するのではないかと私は考えています。(こちらをクリックすると、その考察についてのページに移動します)

 

 

また、男女問わずに、玄米を食べることをストレスに感じる人の理由を考察すると、そのもっとも大きな原因として、現代人特有の「脆弱な消化能力」が挙げられるのではないかと考えています。

 

脆弱な消化能力と言うと、大変失礼な言い方ではありますが、はっきり言って、今の日本人ほとんどの人達は、自身の内臓の能力を、本来あるべき姿よりも相当に低下させた状態にしている、と言っても過言では無い、と私は思っています。

 

 

今、日本のたくさんの人達は、これほど充分な食料に恵まれた状況であるにも関わらず、まださらなる栄養を求め続け、さらにはそれらについて、楽に摂取できるようなカタチであることを望んでいます。

 

柔らかいものや、甘いもの高脂肪高カロリーなものをもてはやし、消化しづらいものや、栄養を摂取しづらいような食品を食べることは敬遠する傾向にあります。

 

そして、敬遠されるような食品については、消化しやすく加工したり、その栄養分だけを抽出することにより、より良い形で摂取しているつもりでいるわけですが、これらの事は効率的なことの様でいて、実は自身の体をただ甘やかしている、ということを認識しなければなりません。

 

常に自身を甘やかすような食生活を送り続けている現代人の「内臓力」は、戦前生まれの方々や途上国の人達と比べて、非常に脆弱であるといえるのです。

 

ですから、その脆弱な現代人にとっては、玄米のような消化しづらい食品、様々な雑味成分を含んだ食品は、からだに優しくない食品であるため、敬遠する傾向になってしまう、といったわけなのです。

 

 

ちなみに、自身の消化能力を向上させ、内臓力を向上させるためには、あえて消化しづらいものや、そう簡単には栄養を抽出できないような食べ物を進んで食べる事が重要だという仮説があります。(もちろん程度と言うものはありますので、その辺は行き過ぎの無いようバランスを考える事が大事です)

 

 

話は変わって、高カロリー、高脂肪で、柔らかい(つまり消化されやすい)現代食を、生まれてきたときから食べ続けてきた我々現代人は、基本的に小腸から栄養を吸収するシステムが中心に機能します。

 

しかし、難消化性の食物繊維などが豊富な、玄米などの未精製の穀物を中心とした食事を摂取した際には、もちろん小腸でも様々な栄養が吸収されていくのですが、食物繊維は消化されないため、大腸において特定の菌による発酵が起こります。

 

そして、その発酵により生じた脂肪酸を大腸から吸収する、といった大腸での独自の栄養吸収システムが活発化されるのです。

 

この大腸での栄養吸収システムは、肝臓を介さずに直接全身に栄養が運ばれるなど、体にとって様々な面から効率が良く、元来、日本人はこの大腸での栄養吸収システム能力を進化させてきました

 

玄米自体の持つ栄養だけでなく、細菌による発酵の際に、新しく生成される栄養を吸収できるような能力を、日本人という種族は長い年月をかけて磨き続けてきたのです。

 

 

ですから日本人は、大陸の肉食系の人種とは違い、腸が長く発達してきた訳ですが、今、現代社会において急激な肉食の普遍化が進むことで、その特徴が逆に自分達の首を絞めることになってきています。

 

日本人の大腸ガンの増加が、それらの現象の一つであると言えるでしょう。

 

 

「大腸ガン」と「玄米」と「食事療法」の話へつづく

 

ガン、糖尿病、アレルギーなどの現代病を筆頭に、様々な病気においては「自己免疫」というものが、非常に重要な意味を持つことは、おそらく誰もがご存知のことでしょう。

 

そして、あらゆる病気を未然に防ぐためには「自己免疫を高めることが大事である」ということも、今や常識といえることではないでしょうか。

 

自己免疫を高めるためには、スポーツなどで筋肉を付けることや、呼吸法、特定の食物摂取など、実に様々な方法が提案されています。

 

ただ、自己免疫能力を高めることも大事ですが、今の日本人にとっては「自己免疫の異常」ということについて、考えることが本質的な意味で重要なことではないか、と私は考えています。

 

免疫を高めるための方法として、体温を上げることで免疫機能を活発化させることが盛んに提唱されていますが、本来は、なんらかの病気になった際に、自身の体が常時よりも体温を上げることで、免疫システムを活性化させることが自然の営みであります。

 

ですから、病気でもないのに、体温の高い状態を保ち、免疫機能が活発に働いているなどということは、ある意味「異常」と言えることでしょう。

 

 

本当に大事なこと、本質的な改善手段は、自身の免疫システムを、常に正常に働くことができるようにすることだと私は考えています。

 

 

では、免疫システムを正常に働かせるようにするためには、いったいどうすれば良いのでしょう?

 

 

ここから先は、まだまだ専門家の間でも仮説に過ぎない説ばかりが飛び交っており、実際にこうすれば良いと断言できるような方法は確立されていません。

 

ただ、最近の研究では、免疫システムとは人間の身体の内部で起こる出来事であり、つまり内臓の能力が密接に関わっていることが明らかになっています。

 

そして、内臓の能力を高めるためには、やはり「食生活」を考えることが、もっとも重要な要素であると断言できるでしょう。

 

 

自身が楽に栄養を摂取できるような食生活を続けていると、内臓はその能力を高める必要はありませんので、その能力はどんどんと退化していきます。

 

内臓の本来の能力が低下することで、免疫システムの能力も低下し、システム異常が発生する要因になるのではないかと考えられるのです。

 

また、様々な細菌との接触による、内臓内(特に腸内)での細菌の状態も、その能力を示すバロメータになるでしょう。

 

過度の衛生状態にある、先進国の人間の内臓は、様々な細菌との衝突の経験が少なく、それらとの共存能力を退化させています。

 

太古の昔から、人間の腸内などでは様々な細菌が住み着き、共存することでお互いに恩恵を分かち合ってきましたが、急激な食生活の変化や、過度の衛生、行き過ぎた他の存在の拒絶などが原因となり、今の現代人の腸内細菌構成は以前とはかなり変化しているようです。

 

これらのことを踏まえて、より良い食生活を考えるとき、やはりたいぞうは「玄米」を中心にした食事法が非常に有効であることを改めて認識するのです。

 

 

大腸での消化吸収の話につづく

 

「玄米屋たいぞう」の前身である、以前のお店「食彩浪漫たいぞう」のときから、たいぞうがこだわっていたことが、二つあります。

 

一つが、旨み調味料や肥育された肉などを使用することで、安易に旨さを誇張した料理を提供しないこと。たいぞうトマトのサムネール画像

 

もう一つが、自分が心底自信を持って、子供達に食べさせ続ける ことの出来る料理を提供するということです。

 

今のように景気が悪いときは、家計をやりくりするために少しでも安い食品を選択する傾向があります。

 

しかし、安くて旨くて手軽な食べ物は、どの企業もこぞって提供していますが、安くても子供に自信をもって食べさせ続けることの出来る食べ物を提供している企業は、そんなに多くはありません。

 

安くて旨くて手軽な食べ物を子供達に食べさせ続けることは、たいていの場合、子供達には悪影響を及ぼすと考えられています。

 

それでも多数の人達が、安くて手軽で旨い食べ物ばかりを支持するため、本当に心ある企業の提供する食品は消えて無くなるばかりです。

 

消えないようにするには、売値を高くして富裕層の支持を得るしかありませんが、しかし、それはたいぞうが本当に望む商売のあり方ではありません。

 

たくさんの人に、そろそろ旨い食べ物ばかりを追い求めるのではなく、人の生活を長期的な視野で考える食べ物を追い求める心を、とくに親となった人達には持って欲しいと願っています。

 

 木村さんの奇跡のリンゴの本 

 

「無農薬でりんご畑を作る」という一大事に、挑戦しきった素晴らしい人物、木村秋則氏を紹介した本を読んでみました。

 

読み終えて思ったことはただ一つ、木村氏の経験したことを広く伝えることが非常に重要である、ということです。

 

 

できればこの本は、少しでもたくさんの人達に読んで欲しいものです。

 

それもできれば、小さな子供を抱えるお母さん方に是非読んで欲しい、と思っています。

 

なぜなら、この本を読めば、いかに現代人の環境が、人として生きるということにとって危ういものとなりつつあるかを、気付くきっかけになるのではないかと思うからなのです。

 

 

なぜ、たいぞうが、一般に白米ごはんと比べて、マズイと思われている玄米ごはんに、これほどこだわり続けているか、そして、たいぞうが玄米ごはんを通じて伝えたいことが、この本を読むことで理解することが出来るのではないか、と思います。

 

自分には圧倒的に経験が足りないため、いくら口で言っても説得力がない場合が多いのですが、木村さんならそのようなことはないでしょう。

 

自分が伝えたいことを書き出すと長くなるので、ここではあえて書きませんが、二つだけ言わせてもらうなら「自分にとって良かれと思ったことが、実はそうではないことが往々にしてある」ということと、「甘やかされた環境に置かれ続ければ、そのような環境でしか生きていけなくなってしまう」ということだけ、述べておきたいと思います。

そして、それは「食」においても例外では無いということも。

 

けっして「無農薬のりんごを食べることが体に良い」とか「無農薬の玄米を食べることが体に良い」などという、表面的な出来事を言っているわけではないことも付け加えておきます。

 

 

 

 世のご年配方の中には、若者の食生活の乱れを嘆き、軽蔑する方が少なくありません。

 


 しかし、今の子供達やこれから生まれてくる子供達が、自ら望んで今のような飽食の世の中にしたわけではないのです。

 


 飽食の世界に導いたのは、まぎれもなく我々大人だということを、しっかりと認識しなければなりません。

 


 私たち大人が、自分のその場の欲望を満たすものばかりを望んできたが故に、今のような「飽食日本」の姿があるのです。

 

 

 

 今のお年寄りが若者であった頃の、約60~70年程前の日本は今とは違い、たくさんの人達がその日に食べる食べ物にすら困っていた時代であったといいます。
 

 

 そのような貧しさの中で、ひたすらに勤労に勤しみ、食べ物に困ることの無いように頑張って来た、今のお年寄り達のおかげで、日本は他の国々と比べてもトップレベルの、様々な食べ物に恵まれた非常に豊かな国となりました。

 


 しかし、これほど豊かになったというのにも関わらず、さらなる「食の欲求」を膨らまし続けている我々大人が、今の「飽食日本」を創り続けています。

 

 

 多数の人間が「旨い食べ物」や「美味しい食べ物」ばかりを盲目的に追求し、そのような「商品」ばかりを支持し続けてきたことにより、今の日本には食の欲望をあおるばかりの「商品」で溢れかえるようになってしまいました。

 


 自由市場原理により、大多数が求める「旨さを追求した食料」が市場を席巻し、ストレートな旨さでは劣るような日本の伝統食などはスミに追いやられる一方です。

 


 「いや、伝統食だってちゃんとある!」という声もあるかもしれませんが、残念ながら、様々なうまみ調味料などを添加した「旨さを追求した食料」にすりかえられている場合がほとんどです。

 


 また、最近では健康ブームの煽りもあり、簡単に豊富な栄養を摂取できるような食品が支持されるようになりましたが、これも「手軽さ」や「旨さ」や「美味しさ」などを追求した、人の目先の欲望をあおり続ける「商品」であるといえるでしょう。

 

 

 しかし、子供達や若者は大人の背中を見て育っていくのです。

 


 我々大人が、自分の目先の欲望ばかりを満足させるような「商品」を支持し続けている、そのような背中をみて育った子供は当然、同じように自分の目先の欲望を膨らませ、満足させることに何の疑問も持たないことでしょう。

 


 すでに飽和している日本の食の市場において、目先の欲望を煽りつづけるような商品を支持し続けることがどれだけ危険で、どれほど愚かなことか、まず私たち大人が気付く必要があります。

 


 個人のその場の欲望ばかりを必要以上に満たすような食料にに恵まれ、その欲望を節制できない者を待ち受けていることは「文明病」という名の自然の淘汰なのです。

 


 伝統を守ることを放棄し、目先の欲望を重視してきたことを今こそ反省し、まず私たち大人が好き嫌いなどをなくす努力をしましょう。

 


 苦い、酸っぱい、固いなどの雑味のある、一般に「不味い」と呼ばれるような食べ物や、先人が食してきた粗食なども「慈しむ心」を育みましょう。

 


 そして、より良い未来へつなぐべき食のあり方を真摯に考え、改めて伝統食というものを見つめなおし、その上で現代にあった「より良い食のかたち」に共に発展させていこうではありませんか。

 

玄米屋たいぞう便り2

  福井の田んぼ 

ここでは「ダイエットと運動の関係」について、玄米屋たいぞうの意見を述べていきます。

 

 

現在、スポーツ医学などにおいては、有酸素運動と筋肉づくり、そして柔軟などのストレッチ体操が推奨されています。

 

これは今やほとんど否定されることのない、健康づくりのための良き習慣として一般的に認識されています。

 

私ももちろん、より良い体の形成や維持を考えた時、それらの運動をすることは、とても良いことだと思っています。

 

 

ただ、周りを見渡したとき、少々残念に思う方が多いことに気が付きます。

 

 

それは「運動しているから少しぐらい食べ過ぎても大丈夫!」とか「何を食べようが運動をちゃんとすれば大丈夫!」といったような認識をされている方が意外なほど多いことです。

 たいぞうトマト

 

そこで、そのような認識をされている方々に、今一度きちんとした認識を持っていただきたいと思い、意見を述べたいと思いますが、今から述べることは、やや誇張がありますので、あくまでも「運動さえすれば大丈夫」と思っている方に対しての意見だということを、あらかじめお断りいたします。

 

 

 

まず、たくさん食べても運動すれば大丈夫、などというのはエネルギーの無駄遣いでしかありません。

 

個人で出来る最も身近なエコは、必要以上に食べないことです。

 

人間の体を自動車に例えれば分かりやすいですが、無駄に活動するためによりたくさんのガソリンを使用する、逆に言うと、わざわざ必要以上のエネルギーを取り入れて必要以上に活動するなどといったことは、非常に無駄な活動でしかありません。

 

 

そしてそのような無駄な活動をしていると、自動車本体に様々な負荷がかかるのと同様に、人間の肉体にも様々な負荷がかかります。

 

自動車で例えるとタイヤは磨耗し、エンジン内はススがたまり、様々な部品がより劣化していきます。

 

これは人間の体においても同様に起こり得るこ萬蔵となのです。

 

 

食料についても、粗悪な食料を必要以上に摂取することは、粗悪な燃料を溢れんばかりに給油することと同じで、走行の結果、エンジン内にススが貯まったり、不完全燃焼を起こしたりするなど、様々な悪影響が、人体にも同様に起こるのです。

 

 

人間は自動車とは違って筋肉組織などの成長があるので、機械と一緒にすることはナンセンスだと思われる方もいるかもしれません。

 

運動することは、基礎代謝を活発にすることが大事であるため、基礎代謝量を上げるための行動である、と考える人も多いことでしょう。

 

 

これは決して間違いではありませんが、本当の健康を考えた時には「真実」ではありません。

 

つまり人の健康の本質においては、平常時の基礎代謝を上げることが必ずしも正しいという訳では無いという事です。たいぞうのおじぎのサムネール画像

 

 

自身の免疫システムを活発化させるために、筋肉量を増やし、基礎体温を上げることは、様々な種類の病気を患った時や、ウイルスやガン細胞の撃退を考えたときには、非常に有効といえますが、平常時の代謝があまりに活発であることは、それだけ自身の肉体が、より酸化し続けているということを認識しておかなければなりません。

 

筋肉量の多い人は、より走行距離の多い自動車同様に、体内に様々な「サビ」「スス」が多く発生していることを認識したほうがよいでしょう。

 

そしてその「サビ」や「スス」がなるべく発生しないようにするためには、適切かつ質の良い燃料(食料)を選び、適切な量を給油(摂取)することが大事なのです。

 

また、サビやススを取り除くことのできる食料を摂取することも大事です。

 

 

健康の本質を考える時は、筋肉など目に見えることばかりでなく、体内で起こっている「目に見えないこと」も、しっかりと認識することが大事なのです。

(ちなみに、全世界において男性よりも女性の方が寿命が長いことは、筋肉量の差異によった代謝活動の強弱の結果に伴う、細胞の劣化スピードの違いという説があることを述べておきます)

 1日1食玄米生活

        たいぞう(稲穂) 

 

ダイエットを考える時、食事を制限したり、または、しっかり食事して運動することが大事だという意見が多くあります。

 

これらのことについても「本質」をしっかりと見極めなければなりません。

  

 

食事はもちろん、摂らなければいけません。

 

そして、ダイエットを考えるとき、その食事の内容はそれなりに管理する必要があります。

 

しかし、ここで大抵の方々が、やや間違って認識していることがあります。

 

 

それがカロリーベースでコントロールをしようとすることです。

 

 

食事をカロリーベースで考えてコントロールしようとする栄養学は、はっきり言って時代遅れもいいところです。

 

本当に重要なことは、人間が生きるために必要なすべての栄養(必須アミノ酸、ビタミン類、微量金属類、各種微生物、各種酵素類など)を、いかにローカロリーで摂取できるかということに尽きるのです。

 萬蔵

 

これを考えずに、カロリーベースでの食事のコントロールをしたところで、栄養が足りなければ、自然と体がさらなる食料を欲するため、結局は食べ過ぎてしまのです。

 

これがリバウンドを生じる原因です。

 

 

そしてこの欲求を我慢し続けていると、栄養不足により様々な身体への弊害や、ストレスが生じることも言うまでもありません。

 

ローカロリーの食事であっても、人がその時に必要な栄養素群をすべて摂取していれば、体(脳)がさらなる食料を欲求することはありません。栄養とはカロリーではないのです。

 

 

商売に関連付けて申し訳ありませんが、玄米屋たいぞうの「発芽玄米酵素ごはん」「人が生きるために必要な栄養を、ローカロリーで摂取できる食料」の一つであることを、ここで宣伝させていただきます。

 

 たいぞうのおじぎ

 

人間は、植物のように光合成などでエネルギーを作り出す能力は持っていないため、他の動植物などを食事という形で取り込まなければ、自身のエネルギーはどんどん無くなっていきます。

 

このエネルギーは、人によって差はありますが、通常は脂肪などの形で非常用エネルギー源として自分の無意識下において貯蔵されていきます。

 

(ちなみに食べても太りにくい人は、摂取したエネルギーの過剰分を自身の脂肪に変換する能力が低いため、太らないのですが、これは生物として考えると、残念ながら劣性であると言わざるをえません)

 

 

食事を必要以上に摂り過ぎると、その過剰分のエネルギーが脂肪に変換されることになりますが、自身の基礎代謝量以下のエネルギーしか持たない食事で摂取していれば、基本的にはそのようなことは起こり得ません。

 

しかしながら、各々の人によって、摂取した食事をエネルギーに変換する能力に差があるため、単純にカロリー計算していれば大丈夫というわけではないのです。

 

 

例えば、某大食いタレントを例にとって考えてみれば分かりやすいのではないでしょうか。

 

彼(彼女)は非常に多くの食料を摂取し続けていますが、体は肥満とは程遠い状態です。

 

これは摂取した食料をエネルギーに変換する能力が著しく低いことが原因です。

 

 玄米屋たいぞうの玄米

また、エネルギー変換だけでなく、栄養素の体内での抽出能力や摂取能力も低いことが推察できます。

 

自動車で例えれば、燃費効率の非常に悪いアメ車と同様ですね。

 

 

 

このように考えれば、人によって燃費効率が様々であるのにも関わらず、カロリーコントロールを主体で考える栄養学のあり方は、間違っているといえるのです。

 

 

この飽食の時代には、自身に必要な栄養を、ローカロリーで摂取できるようにすることを心掛けることが大事なのです。

 

今の時代は、カロリーだけなら非常に安価に手に入れることが出来るのですから。

 

玄米屋たいぞうの食育 (運動とダイエット編) につづく1日1食玄米生活

              玄米屋たいぞうの発芽玄米酵素ごはん

  玄米ごはんを食べることの最大のメリット、本質は

 

「より少ないエネルギー(カロリー)で人間に必要な栄養を充分にとる

ことが出来ること」

 

 と、玄米屋たいぞうは考えています。

(特に日本人向けの栄養に、ということを補足します)

 

 

 ですから、旨い食事を楽しみ、たくさんの美味しい食べ物を食べる際には、玄米ごはんを共に食べることは向いていません

(玄米ごはんを楽しむためには粗食のスタイルをお勧めします)

 

  まずはそのことをご認識下さい。

 

 

現代の飽食の文化などが原因で引き起こされる、「現代病」「自然破壊」などの様々な問題を、

より良く解消するための手段として古代食「玄米ごはん」を食生活に取り入れることが、

今の日本には必要だと、玄米屋たいぞうは考えています。

 

玄米屋たいぞうはけっして、「玄米菜食を続けなければならない」とか「肉食をしてはいけない」などと提案しているわけではありません。

 福井の田んぼ

 

 より良い食べ方の手段の一つとして、

玄米ごはんという食べ物を日々の暮らしに

 取り入れることを提案しているのです。

 

 

 少しでもたくさんの人達が玄米ごはんを好きになってくれたら・・・

それが玄米屋たいぞうの夢であり、目標です。

  

 

 次に、玄米食用の玄米は無農薬栽培またはそれに近い減農薬栽培のものでないと基本的に

美味しく感じないことをご認識下さい。(何故か、はっきりとした理由は私もわかりませんが・・)

 福井米

さらに米を作っている農家さんが、お客さんが玄米のまま食べる

ということをちゃんと認識しているような方から購入することが

大事です。

 

お米作りをしている農家さんは、ほとんどの方々が、お客さんは白米ごはんで食べるものと思い込んでいます。

 

 

米に限らず、どのような食べ物も、作る人はお客さんが美味しく食べてもらえることを願って作っているものだと思います。

 

白米で美味しく食べてもらうことを想像しながら栽培したお米を、玄米で食べても、農家さんは嬉しくはないかも知れません。タニシ君

 

それよりも玄米で食べてもらうことを考えて栽培された米を、玄米ごはんで食べることが大事なのです。

 

 

玄米食を美味しく楽しむための3つの秘密はこちらから

 

 とんぼちゃん

そして、もし玄米ごはんを好きになる人がますますと増えると、無農薬有機栽培を手がける農家さんが必然的に増え、様々な生き物が共存する環境もが、日本中で増えることになるのです。

 

 

たくさんの存在と共存することのできる世界を次世代につなぐ

それも玄米屋たいぞうの夢であり、目標であります。

 

 

また、米国などのセレブ達のあいだでは、玄米菜食という食事法が人気ですが、日本での有機農法など、クオリティの高い米作りがますます発展すると、他の先進国へのより高値での米の輸出も可能になるかも知れません(あくまで妄想ですが・・・)

 

(玄米食の本質と秘訣 其の二 は、こちらをクリックするとご覧になれます)

 鳥さんどじょうさん

 

 人間に限らず、すべての動植物は自身が生きるために、他の何かの存在を自身に取り込まなければ、生き続けることは出来ません。

 

 特に人間という存在は他の生物よりも多くの、あらゆる動植物や無機、有機物質を取り込む能力を持つことで生物界の頂点に立ち、いま現在、地球上で最も進化した動物として存在しています。

 

 

 私はそんな人間の一人として、その存在を維持するために、これまでたくさんの他の存在を犠牲にし、今を生きています。

 

 

 先人の教え、私の親や他の大人たちは、その他の存在や食べ物に感謝しなさいということを、私の小さな頃から教えてくれました。

 

 しかし残念ながら、なぜ感謝しなければならないのか、感謝するとどうなるのか、それを私に明確に教えてくれる人はいませんでした。

(というよりも、教わる機会に恵まれなかっただけかもしれません)

 

 以前の私にとっては、「感謝」ということの本当の意味や、また「謙虚である」ということの意味を理解することは非常に難しく、自身の混乱すら及ぼすほどの問題でありました。

 

 

「食べること」「食べられるもの」に感謝する、”ありがとう”と言う、”いただきます”と言う

 

 「なぜそのような行為を行うことが大事なのか」、深く問い詰めても、以前の私には、その答えが見出せなかったものです。

 

 

 しかし今、私はある答えを見出すことに成功しました。

 

 

 もちろん、その答えが正しいとか完璧な答えだと思っているわけではありませんが、それでも今、私が持ちうる最善の答えだと思っています。

 

 

 いま現在、皆が様々な食品を手軽に手に入れることのできる、この日本という国は本当に素晴らしい国であります。

 

 なぜなら、自身が生きていくために取り込まなければいけない他の存在が豊富に存在し、苦労する必要なく手に入れることが出来るのですから。

 

 そのような状況を作り出してくれた先人達や過去の存在にどれほど感謝すべきことでしょう。

 

 

 しかし、感謝するとどうなるのでしょうか。

 

 ただ、「有り難う」と言えば先人は喜び、食べられた他の存在は私を許してくれるのでしょうか。

 

 私はただ言葉に出すことが本当の感謝だとは考えていません。その先にあるものが大事だと思うのです。

 

 

野球のトーナメントでの試合を例にとります。

 

勝負である以上、必ず勝者と敗者が現れます。(つまりは食べるほうと食べられるほうです)

 

トーナメントですので、勝者には次の勝負が待っているわけですが、そのとき負けた方はどのような気持ちでいるのでしょうか。

 

その勝者に対して「おまえなんか負けてしまえ」などと考えたりするのでしょうか?

 

 

私はおそらくは皆がその勝者を応援するのではないかと思うのです。

 

 

もちろん、その試合の内容やその敗者との試合の内容があまりに酷いものであったならば、そのようなことは無いかも知れません。

 

しかし、立派な試合をすることを心掛けていれば、敗者も必ず応援をしてくれるのではないか、味方になってくれるのではないかと思うのです。

 

であれば、常により良い試合を心掛け、敗者の心に応えた試合をするべきなのです。

 

 

食べられたものが自分の一部になり、自身の活力になってくれるのです。

 

その敗者、食べられたもののためにも、私たちはより良く生きなければなりません。

 

より良く生きることで、より良い未来を繋いでいかなければならないと思うのです。

 

この思いに至ったときに、私は感謝ということの本質の一端を、ようやく理解することが出来ました。

 

 

今の日本はあらゆる面で恵まれた国といえるでしょう。

 

 しかし、そこに住むたくさんの人達が「自身がどれほど恵まれているか」に気付かないまま生きているように私は思えてなりません。

 

 これほどまでに恵まれている状況であるにも関わらず、まだ今よりも良い食料があると信じ、健康志向の方も、そうでない方もあらゆる形でより良い食べ物を求めています。

 

 しかし、そもそも人間が食べることの出来る存在に、良い悪いなどということは無いと私は思うのです。

 

 どのような食料も自身の一部や活力となってくれる存在であり、感謝すべき存在なのです。

 

 私たちが今すべきことは、食料(敗者)に対して「良い」「悪い」と評価をつけるのではなく、自身の食べ方(試合のあり方)に「良い」「悪い」の評価をつけることなのではないでしょうか。

 

 そのように考えれば、今自分がいかに食べるべきか(いかに生きるべきか)が問われていることと、それに真摯に応えることが、本当の感謝であるということに思えてならないのです。

 

 そう考えれば、誰もが好き嫌いなどせず、あらゆる存在に慈しみを感じ、より良い食事のあり方を実行するということにつながると考えています。

 

 

 

 玄米屋たいぞうは、そのより良い食事のあり方を考える手段の一つとして「玄米」にスポットをあてているのです。

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